『潮流』 日米開戦の日
24年12月7日
■特別論説委員 宮崎智三
太平洋戦争が始まって、あすで83年になる。いま考えると不思議だが、当時の国民の多くは真珠湾攻撃に拍手喝采を送った。
沸き立つ様子を、太宰治が短編小説「十二月八日」につづっている。妻をモデルにした主人公は日米開戦を告げるラジオ放送を耳にして思う。
「まっくらな私の部屋に、光のさし込むように強くあざやかに聞(きこ)えた。(略)日本も、けさから、ちがう日本になったのだ」
高揚感や米国への敵意に満ちた描写が、随所に出てくる。戦後になって「戦争賛美小説」との批判を招いたほどだ。
とはいえ、戦争が暮らしに与えた悪影響にも目配りして、品薄の食料や乏しい配給品、増税、灯火管制も描いている。
掲載されたのは、開戦の熱気冷めない1942年2月号の女性誌。戦争への疑問や批判を色濃く出していれば、検閲は通らなかったはずだ。
太宰がひそかに訴えたかったことは何だろう。
主人公は、灯火管制で真っ暗になった道を一歩一歩探るように進むが、道は遠く、途方に暮れてしまう。日本の先行きを暗示するような場面で、小説を書いているという夫が偶然通りかかって、こう言い放つ。
「お前たちには、信仰が無いから、こんな夜道にも難儀するのだ」と。そして、自分には信仰があるから夜道もなお白昼の如(ごと)しだ、と胸を張る。
世の中が開戦に浮かれていても手放しで喜ぶわけではなく、先行きがどれほど暗く思えても明るく振る舞う夫。確固たる信仰があったからこそ、社会の風潮には左右されなかったのだろう。
揺るがぬ信念を持っているか―。読み返しては自らに問いかけている。
(2024年12月7日朝刊掲載)
太平洋戦争が始まって、あすで83年になる。いま考えると不思議だが、当時の国民の多くは真珠湾攻撃に拍手喝采を送った。
沸き立つ様子を、太宰治が短編小説「十二月八日」につづっている。妻をモデルにした主人公は日米開戦を告げるラジオ放送を耳にして思う。
「まっくらな私の部屋に、光のさし込むように強くあざやかに聞(きこ)えた。(略)日本も、けさから、ちがう日本になったのだ」
高揚感や米国への敵意に満ちた描写が、随所に出てくる。戦後になって「戦争賛美小説」との批判を招いたほどだ。
とはいえ、戦争が暮らしに与えた悪影響にも目配りして、品薄の食料や乏しい配給品、増税、灯火管制も描いている。
掲載されたのは、開戦の熱気冷めない1942年2月号の女性誌。戦争への疑問や批判を色濃く出していれば、検閲は通らなかったはずだ。
太宰がひそかに訴えたかったことは何だろう。
主人公は、灯火管制で真っ暗になった道を一歩一歩探るように進むが、道は遠く、途方に暮れてしまう。日本の先行きを暗示するような場面で、小説を書いているという夫が偶然通りかかって、こう言い放つ。
「お前たちには、信仰が無いから、こんな夜道にも難儀するのだ」と。そして、自分には信仰があるから夜道もなお白昼の如(ごと)しだ、と胸を張る。
世の中が開戦に浮かれていても手放しで喜ぶわけではなく、先行きがどれほど暗く思えても明るく振る舞う夫。確固たる信仰があったからこそ、社会の風潮には左右されなかったのだろう。
揺るがぬ信念を持っているか―。読み返しては自らに問いかけている。
(2024年12月7日朝刊掲載)