朝凪(あさなぎ) 先人の熱 オスロで思う
24年12月10日
仕事机は分厚い本や資料に囲まれている。日本被団協のノーベル平和賞受賞が発表されて以降、歩みを資料からたどり、今や数少なくなった往時を知る人を取材する日々が続いた。
県被団協の初代理事長を務めた森滝市郎さんが亡くなった1994年に私は生まれた。50年代、日本社会で顧みられなかった中で立ち上がり、援護と核兵器廃絶を求めて闘い始めた被爆者たちの思いを完全に理解するのは、はっきり言って不可能だろう。さらには、あの日一瞬で焼かれ、何も語ることなく命を奪われたあまたの人がいる。
それでも、取材したゆかりの人たちは「井戸を掘った人を忘れてはならない」「想像力を働かせて」と知りうる限り証言してくれた。きょう、被団協が授賞式に臨む。聞けなかった声にも思いを巡らせ、オスロで見届ける。(社会担当・下高充生)
(2024年12月10日朝刊掲載)
県被団協の初代理事長を務めた森滝市郎さんが亡くなった1994年に私は生まれた。50年代、日本社会で顧みられなかった中で立ち上がり、援護と核兵器廃絶を求めて闘い始めた被爆者たちの思いを完全に理解するのは、はっきり言って不可能だろう。さらには、あの日一瞬で焼かれ、何も語ることなく命を奪われたあまたの人がいる。
それでも、取材したゆかりの人たちは「井戸を掘った人を忘れてはならない」「想像力を働かせて」と知りうる限り証言してくれた。きょう、被団協が授賞式に臨む。聞けなかった声にも思いを巡らせ、オスロで見届ける。(社会担当・下高充生)
(2024年12月10日朝刊掲載)