被爆者の言葉 世界を駆ける 被団協ノーベル平和賞
24年12月10日
1956年8月に結成した日本被団協は、核兵器保有国を含む世界各国に被爆者を派遣し、米軍の原爆によりもたらされた広島、長崎の惨禍を伝えてきた。被団協のみならず、バーバラ・レイノルズさんが手がけた平和巡礼、非政府組織(NGO)ピースボートの航海、広島国際文化財団の広島世界平和ミッションなど、海外での証言活動は多様な形で続いている。
被爆者の数だけ、体験と語りがある。激しく、悲しく、人間の心を揺さぶる。共通するのは、核兵器も戦争もない平和な世界への願いだ。10日、「Nihon Hidankyo」にノーベル平和賞が贈られる。被爆者の声を受け止め、伝え続けねばならない。人類を守るために。(岡田浩平、宮野史康、下高充生)
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「原爆が人間に何をもたらしたのか、日本でもよく知られていない。例えば、非人道的被害と言ったときに、頭に状況が浮かんでくるだろうか。核兵器をなくさなくてはいけないとすら思ってない人を、廃絶へ行動させたい。ノーベル平和賞の受賞が、大きな運動が起きるきっかけになるよう期待している」
たなか・てるみ
1932年、旧満州(中国東北部)生まれ。長崎中1年の時に爆心地から3.2キロの自宅で被爆し、祖父たち親類5人を失った。東北大工学部助教授などを歴任。70年代から本格的に日本被団協の活動に加わり、85年に事務局長。いったん退いた後、2000年6月に2度目の事務局長に就いた。退任した故岩佐幹三さんの後任として17年6月から代表委員。埼玉県新座市在住。
「核兵器は一発でも使われたら、報復の連鎖になり、最後は地球に住めなくなる。絶対に使わせてはいけない。戦争被害に対する国の責任がないとするならば、国はいつでも戦争をしかねない。今後の戦争を防ぐためにも、原爆被害に対する国の責任を明らかにする必要があり、私たちは国家補償を求めている」
たなか・しげみつ
1940年、長崎県生まれ。爆心地から約6キロの時津町の自宅で被爆した。高校卒業後、国鉄に入社。85年、労働組合の推薦で英国を訪れ、被爆体験を語ることになったのを機に、長崎原爆被災者協議会(長崎被災協)の活動に加わる。谷口稜曄(すみてる)さんの死去を受け、2017年10月に被災協会長に就任。18年6月に日本被団協代表委員に就いた。長崎市在住。
「被爆者が闘ってきたこれまでの道のりは、長く険しかったと思う。初代理事長の森滝市郎さんたちの大変な苦労を常に頭に入れながら、授賞式に出席したい。被爆者が生きているうちに核兵器をなくしてほしい。かわいい子どもたちが大きくなって戦場に送られるようなことがないようにしてほしい」
みまき・としゆき
1942年、東京都生まれ。45年3月の東京大空襲を経験後、父の故郷の広島県飯室村(現広島市安佐北区)に疎開した。市内で被爆した父を捜すため、母に連れられて入市被爆。99年から旧豊平町議、北広島町議を各2期務めた。2006年から北広島町原爆被害者の会会長。坪井直(すなお)さん亡き後に21年11月に県被団協理事長、22年6月に日本被団協代表委員に就いた。北広島町在住。
(2024年12月10日朝刊掲載)
被爆者の数だけ、体験と語りがある。激しく、悲しく、人間の心を揺さぶる。共通するのは、核兵器も戦争もない平和な世界への願いだ。10日、「Nihon Hidankyo」にノーベル平和賞が贈られる。被爆者の声を受け止め、伝え続けねばならない。人類を守るために。(岡田浩平、宮野史康、下高充生)
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ノーベル平和賞授賞式に臨む日本被団協代表委員
田中熙巳(92)
「原爆が人間に何をもたらしたのか、日本でもよく知られていない。例えば、非人道的被害と言ったときに、頭に状況が浮かんでくるだろうか。核兵器をなくさなくてはいけないとすら思ってない人を、廃絶へ行動させたい。ノーベル平和賞の受賞が、大きな運動が起きるきっかけになるよう期待している」
たなか・てるみ
1932年、旧満州(中国東北部)生まれ。長崎中1年の時に爆心地から3.2キロの自宅で被爆し、祖父たち親類5人を失った。東北大工学部助教授などを歴任。70年代から本格的に日本被団協の活動に加わり、85年に事務局長。いったん退いた後、2000年6月に2度目の事務局長に就いた。退任した故岩佐幹三さんの後任として17年6月から代表委員。埼玉県新座市在住。
田中重光(84)
「核兵器は一発でも使われたら、報復の連鎖になり、最後は地球に住めなくなる。絶対に使わせてはいけない。戦争被害に対する国の責任がないとするならば、国はいつでも戦争をしかねない。今後の戦争を防ぐためにも、原爆被害に対する国の責任を明らかにする必要があり、私たちは国家補償を求めている」
たなか・しげみつ
1940年、長崎県生まれ。爆心地から約6キロの時津町の自宅で被爆した。高校卒業後、国鉄に入社。85年、労働組合の推薦で英国を訪れ、被爆体験を語ることになったのを機に、長崎原爆被災者協議会(長崎被災協)の活動に加わる。谷口稜曄(すみてる)さんの死去を受け、2017年10月に被災協会長に就任。18年6月に日本被団協代表委員に就いた。長崎市在住。
箕牧智之(82)
「被爆者が闘ってきたこれまでの道のりは、長く険しかったと思う。初代理事長の森滝市郎さんたちの大変な苦労を常に頭に入れながら、授賞式に出席したい。被爆者が生きているうちに核兵器をなくしてほしい。かわいい子どもたちが大きくなって戦場に送られるようなことがないようにしてほしい」
みまき・としゆき
1942年、東京都生まれ。45年3月の東京大空襲を経験後、父の故郷の広島県飯室村(現広島市安佐北区)に疎開した。市内で被爆した父を捜すため、母に連れられて入市被爆。99年から旧豊平町議、北広島町議を各2期務めた。2006年から北広島町原爆被害者の会会長。坪井直(すなお)さん亡き後に21年11月に県被団協理事長、22年6月に日本被団協代表委員に就いた。北広島町在住。
(2024年12月10日朝刊掲載)