ノーベル賞委員長、廃絶訴え 「諦めてはならない」 核依存で文明存続信じるのは浅はか
24年12月11日
ノルウェー・オスロ市庁舎で10日にあった日本被団協へのノーベル平和賞授賞式で、ノーベル賞委員会のヨルゲン・フリードネス委員長は「世界の安全保障が核兵器に依存するような世界で、文明が存続できると信じるのは浅はかだ」と訴えた。核兵器廃絶を目指してきた被団協に学び、「決して諦めてはならない」と呼びかけた。(オスロ発 下高充生)
フリードネス氏は核兵器の脅威を減らすための取り組みとして、委員会はこれまでに13回、反核団体などに平和賞を授与してきたとしつつ、「今年、核兵器に対する警告は例年より重要だ」と主張。核兵器保有国による軍備の近代化や核による脅しが公然と繰り返されていると批判した。
その中に差す「一筋の光」として、1945年以降、戦争で核兵器が使われなかった事実を指摘。「日本被団協と被爆者たちの絶え間ない努力が、核兵器使用から私たちを守る防波堤となった」とたたえた。
自らは、40歳で戦争を知らない世代だとも言及。被爆者たちが「『そこにいた人たち』と『歴史の暴力に触れていない私たち』との橋渡しとなり、距離を縮めてくれる」とし、被爆者たちの体験談に耳を傾けて「核のタブー」を守り続ける努力を促した。
ロシアのウクライナ侵攻などを背景に、核兵器を抑止力として容認、支持する世論が世界中で強まっていると感じる。直接的に核威嚇を行っている国だけの問題ではない。被爆国の日本においても国民の反核意識が揺らいでいるように思う。
核に依存する限り、使用のリスクは排除できない。日本原水爆被害者団体協議会(被団協)のノーベル平和賞受賞は、再び使ってはいけないという「核のタブー」の瓦解(がかい)を食い止めなければならないと強い警鐘を鳴らしている。被爆者の高齢化がさらに進むこの5年、10年が正念場だ。
重要なのは、被爆体験は「歴史の一ページ」ではなく、私たちが生きるこの世界を正しい目で見るための「物差し」なのだと理解することだ。
平均的な核弾頭は広島、長崎の原爆の数倍から十数倍程度の威力がある。逆に言えば、現在の基準で「小型」に分類される一発が79年前にすさまじい被害を出し、今でも人々を苦しめている。そうした知識があれば核問題の見方は変わる。
だが、これまでの日本の平和教育は核や戦争を自分の問題として考える訓練が不十分だったのではないか。長崎大の学生らと幼い頃の平和学習について話すと、「平和は大切だ」といった分かりきった答えしか求められず面白くなかったとの意見をよく聞く。被爆者の話を聞くだけで終わっていた様子がうかがえる。
核抑止論は本当に正しいのかを問い直していくことも不可欠だ。核の非人道性を学んでも「核に守られている」という意識がある限り、「理想」と「現実」の二項対立の議論から抜け出せない。
今回の受賞が実際の政治に与える影響は限定的だろう。しかし「被爆者なき時代」を見据え、根本から平和教育の在り方を見直すチャンスだ。
なかむら・けいこ
1972年神奈川県生まれ。NPO法人ピースデポ事務局長を経て、2012年から現職。専門は核軍縮・不拡散。
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拓殖大の佐藤丙午教授(安全保障論)の話
被団協の長年の活動が評価されたことは素晴らしいが、世界の核を巡る状況は危機的だ。二大核保有国の米ロ間の核軍縮合意は新戦略兵器削減条約(新START)のみになり、間もなく失効する。軍備管理・軍縮の枠組みが失われようとしている中で中国は核戦力の増強を図っており、米国も軍拡するほかない。被爆者が訴える「核の非人道性」とは別の文脈で議論は進むだろう。日本政府は今後もほぼ全ての国が参加する核拡散防止条約(NPT)を基本に軍縮に取り組んでいくしかない。
同志社大の三牧聖子准教授(米国政治外交史)の話
本来は日本政府が被団協の価値をまず評価すべきだったが、先んじて世界が評価した。唯一の被爆国として、国際社会で日本が担うべき立ち位置を長年の草の根運動で表明し続けてくれていた。米国では原爆投下の正当性について、時の経過とともに疑念を持つ動きもあり、特に若い世代では核抑止論に批判的な意見が多い。受賞は、聞く耳を持たなかった人々の姿勢を改めさせるきっかけとなるだろう。核兵器との向き合い方が日本としても問われている。
(2024年12月11日朝刊掲載)
フリードネス氏は核兵器の脅威を減らすための取り組みとして、委員会はこれまでに13回、反核団体などに平和賞を授与してきたとしつつ、「今年、核兵器に対する警告は例年より重要だ」と主張。核兵器保有国による軍備の近代化や核による脅しが公然と繰り返されていると批判した。
その中に差す「一筋の光」として、1945年以降、戦争で核兵器が使われなかった事実を指摘。「日本被団協と被爆者たちの絶え間ない努力が、核兵器使用から私たちを守る防波堤となった」とたたえた。
自らは、40歳で戦争を知らない世代だとも言及。被爆者たちが「『そこにいた人たち』と『歴史の暴力に触れていない私たち』との橋渡しとなり、距離を縮めてくれる」とし、被爆者たちの体験談に耳を傾けて「核のタブー」を守り続ける努力を促した。
世界測る「物差し」に
長崎大核兵器廃絶研究センター(RECNA)の中村桂子准教授
ロシアのウクライナ侵攻などを背景に、核兵器を抑止力として容認、支持する世論が世界中で強まっていると感じる。直接的に核威嚇を行っている国だけの問題ではない。被爆国の日本においても国民の反核意識が揺らいでいるように思う。
核に依存する限り、使用のリスクは排除できない。日本原水爆被害者団体協議会(被団協)のノーベル平和賞受賞は、再び使ってはいけないという「核のタブー」の瓦解(がかい)を食い止めなければならないと強い警鐘を鳴らしている。被爆者の高齢化がさらに進むこの5年、10年が正念場だ。
重要なのは、被爆体験は「歴史の一ページ」ではなく、私たちが生きるこの世界を正しい目で見るための「物差し」なのだと理解することだ。
平均的な核弾頭は広島、長崎の原爆の数倍から十数倍程度の威力がある。逆に言えば、現在の基準で「小型」に分類される一発が79年前にすさまじい被害を出し、今でも人々を苦しめている。そうした知識があれば核問題の見方は変わる。
だが、これまでの日本の平和教育は核や戦争を自分の問題として考える訓練が不十分だったのではないか。長崎大の学生らと幼い頃の平和学習について話すと、「平和は大切だ」といった分かりきった答えしか求められず面白くなかったとの意見をよく聞く。被爆者の話を聞くだけで終わっていた様子がうかがえる。
核抑止論は本当に正しいのかを問い直していくことも不可欠だ。核の非人道性を学んでも「核に守られている」という意識がある限り、「理想」と「現実」の二項対立の議論から抜け出せない。
今回の受賞が実際の政治に与える影響は限定的だろう。しかし「被爆者なき時代」を見据え、根本から平和教育の在り方を見直すチャンスだ。
なかむら・けいこ
1972年神奈川県生まれ。NPO法人ピースデポ事務局長を経て、2012年から現職。専門は核軍縮・不拡散。
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「非人道性」脇に危機的軍拡進む
拓殖大の佐藤丙午教授(安全保障論)の話
被団協の長年の活動が評価されたことは素晴らしいが、世界の核を巡る状況は危機的だ。二大核保有国の米ロ間の核軍縮合意は新戦略兵器削減条約(新START)のみになり、間もなく失効する。軍備管理・軍縮の枠組みが失われようとしている中で中国は核戦力の増強を図っており、米国も軍拡するほかない。被爆者が訴える「核の非人道性」とは別の文脈で議論は進むだろう。日本政府は今後もほぼ全ての国が参加する核拡散防止条約(NPT)を基本に軍縮に取り組んでいくしかない。
日本が担うべき役割長年続けた
同志社大の三牧聖子准教授(米国政治外交史)の話
本来は日本政府が被団協の価値をまず評価すべきだったが、先んじて世界が評価した。唯一の被爆国として、国際社会で日本が担うべき立ち位置を長年の草の根運動で表明し続けてくれていた。米国では原爆投下の正当性について、時の経過とともに疑念を持つ動きもあり、特に若い世代では核抑止論に批判的な意見が多い。受賞は、聞く耳を持たなかった人々の姿勢を改めさせるきっかけとなるだろう。核兵器との向き合い方が日本としても問われている。
(2024年12月11日朝刊掲載)