ノルウェー・ノーベル委員会 ヨルゲン・ヴァトネ・フリードネス会長 によるスピーチ ノーベル平和賞2024年
24年12月11日
2924年12月10日 オスロ
国王王妃両陛下、殿下・妃殿下、名誉ある受賞者の皆様、ご来賓の皆様、ご列席の皆様
「私たちの前途にはーーもし私たちが選べばーー幸福や知識、知恵の絶え間ない進歩が広がっています。私たちはその代わりに、自分たちの争いを忘れられないからといって、死を選ぶのでしょうか?私たちは人類の一員として、同じ人類に対して訴えます。あなたが人間であること、それだけを心に留めて、他のことは忘れてください。それができれば、新たな楽園へと向かう道が開かれます。もしそれができなければ、あなたがたの前途にあるのは、全世界的な死の危険です。 それができれば、新たな楽園へと向かう道が開かれます。もしそれができなければ、あなたがたの前途にあるのは、全世界的な死の危険です。」
1955年にバートランド・ラッセルやアルバート・アインシュタインをはじめとする世界の著名な知識人たちは、このような問いを投げかけました。その有名なマニフェストは、核戦争の危険性を世界の指導者たちに訴え、国際紛争を平和的に解決する方法を模索するよう促しました。今日、私たちは改めて自問しなければなりません。私たちは人間性を忘れてはいないでしょうか?人類は光に向かって歩む道を選んだのか、それとも破壊と死への道を歩み続けるのでしょうか?
ラッセルとアインシュタインがこのマニフェストをしたためた時、アメリカの原爆が広島と長崎に落とされてから10年の月日が流れていました。そこでは12万人あまりの住民が殺されたのです。それと同じくらいの人々が、その後数か月から数年の間に、火傷や放射能障害によって亡くなりました。これらの都市はほぼ完全に破壊され、社会的・経済的崩壊をもたらしました。65万人近い生存者の多くは、精神的トラウマや身体的苦痛と闘ってきました。彼らは発言の場を与えられず、蔑ろにされ、差別され、経済的な権利と自分たちの体験を認めてもらうためにも闘わなければなりませんでした。
広島・長崎の被爆者による草の根運動である日本被団協が、核兵器のない世界の実現に向けた努力、特に核兵器が二度と使われてはならない理由を身をもって立証してきた功績により、2024年のノーベル平和賞を受賞することになりました。日本被団協の受賞は、ノルウェー・ノーベル委員会がこれまで核軍縮や軍備管理の提唱者たちに授与してきた錚々たる平和賞のリストに加わるものであります。受賞者たちは、さまざまな形で核兵器の脅威を減少させることに貢献してきました。これまで13回にわたる平和賞が、全面的または部分的にでも、このような平和運動に携わる人々に授与されてきました。ノルウェー・ノーベル委員会は、その度に核兵器に対する警告を世界に発してきました。今年、この警告は例年よりも重要です。
2025年が近づくにつれ世界は新たな、より不安定な核時代を迎えようとしています。国際政治における核兵器の役割が変わりつつあると言っていいでしょう。既存の核保有国は軍備の近代化や強化をはかり、また新たな国々が核保有の準備をしているように見えます。主要な軍備管理に関する協定が置き換えられることなく失効する一方で、現在進行中の戦争では、核兵器を使用するという脅迫が公然とかつ繰り返し行われています。
残念ながら、ここで私たち自身、核兵器がどのようなものか思い出す必要があるでしょう。核兵器は世界で最も破壊的な、未曾有の武器であることを忘れてはなりません。1万3000近くにおよぶ今日の核兵器は、日本で1945年に投下された原爆よりはるかに破壊力のあるものです。数百万人の命を一瞬にして奪い、それよりもっと多くの人々を傷つけ、さらには気候も壊滅的に破壊する可能性があります。核戦争は私たちの文明そのものを崩壊させることもできるのです。
核兵器の影が世界を覆っていることをしっかりと認識しなければなりませんが、私たちは本日、希望の精神をもってここに集いました。なぜなら、一筋の光があるからです。認識すべき光とは、つまり1945年以来、核兵器が使われていないということです。
第二次世界大戦の原爆攻撃を受けて、世界的な反核運動がおこりました。彼らは核兵器の使用が人類に壊滅的な影響を及ぼすという認識を高めるため、熱心な働きかけを続けてきました。そして次第に、核兵器使用は道徳的に許されないとする国際的な規範が生まれました。これは「核のタブー」と呼ばれるもので、この規範は本日ご列席の政治学者ニーナ・タンネンワルド氏によって提唱されたものです。他の国際規範と同じように核のタブーは、核兵器使用は道徳的に容認できないという相互的・集合的合意、およびその規範を破ることで人類に待ち受ける深淵に対する共通の恐怖によって維持されています。しかしながら、このタブーは脆く、特に時が経つにつれて、より脆く崩れ去る恐れもあります。だからこそ、私たちには思い起こす必要があると信じます。
日本被団協と被爆者たち(広島および長崎への原爆攻撃の生存者)の絶え間ない努力が、核兵器使用から私たちを守るための道徳的・国際法上の防波堤を築く過程に強く貢献してきました。核のタブーを築きあげていくにあたり、彼らの貢献は他に類をみないものでした。彼らの個人的な体験談が、歴史を人間的なものにしてくれます。彼らは「そこにいた人たち」と「歴史の暴力に触れていない私たち」との橋渡しとなり、その距離を縮めてくれるのです。彼らはまさに問題の深刻さ、何が危機に瀕しているのかを思い起こさせてくれる存在なのです。
日本被団協の皆様、田中熙巳様、箕牧智之様、田中重光様、そして被爆者の皆様、あなた方をここにお迎えできるのは名誉であり、歴史的な日となりました。皆様がこれまで生涯行ってこられた、そしてこれからも続けて行くであろう、比類なく貴重な活動に対し、深く感謝の意を捧げたいと思います。
あなた方は被害者であることに甘んじませんでした。あなた方はむしろ自らを生存者として定義しました。大国が核武装へと世界を導くなか、あなた方は恐怖の念に駆られながらも沈黙を拒否しました。あなた方は立ち上がり、かけがえのない証人として自身の体験を世界と分かちあう選択をしたのです。
暗闇の中で光をみつけ、将来への道を模索する、それは希望を与える行為です。
個人的な体験談、啓発活動、核兵器の拡散と使用に対する切実な警告、あなた方は数々の活動を通じて、数十年間にもわたり世界中で反核運動を生み出し、その結束を固めることに貢献してこられました。
私たちが筆舌に尽くしがたいものを語り、考えられないことを考え、核兵器によって引き起こされる想像を絶する痛みや苦しみを、自分のものとして実感する手助けをしてくださっています。
あなた方は決して諦めませんでした。
あなた方は抵抗し続ける力の象徴です。
あなた方は世界が必要としている光なのです。
私は40歳で、ノルウェーでは戦争を知らない世代に属しています。冷戦終結後に育ち、民主主義志向は止められないものと思われ、核軍縮も現実的でありました。私の世代は、歴史的にも稀な楽観主義の時代に生きていたように思えます。そのような時代は終わりました。私は社会人生活の半分以上、テロにより生じた影響に関する仕事に従事してきたこともあり、若い命が無残に引き裂かれる残酷さを身をもって体験してきました。痛み、悲しみ、トラウマと向きあう仕事をとおして、私は体験談や記憶の力を認識することの大切さを学んできました。
個人的にも共同体としても、トラウマや暴力の歴史をどのように記憶するかによって、社会が前に進むか、あるいは過去にとらわれたままでいるのか、それがどのような形で起こるのかは決定されます。 トラウマとなる出来事は、個人だけでなく社会全体を形成するといってよいでしょう。今の世代だけでなく、将来の世代に与える影響はとても大きいのです。忘れないことは、私たちの義務でもあります。次の世代へ体験談や記憶を語り継ぐことは、私たちの責任なのです。そのなかには、社会に忘れられやすい、辛く痛ましい記憶も含まれています。
権威を持つ国や権力者たちは、しばしば前に進むことを重視します。それは時には、誰かが責任を問われるのを避けたいために生じます。また、直接の被害を受けていない人々にとっては、その出来事を思い出さないで済めば楽になることもあるでしょう。私たちは他者の痛みに触れる苦悩を避けてしまい、それゆえ他者を思いやることを怠ってしまうのです。
また、被害を受けた当事者にとっては、自分自身の苦しみについて語ることが辛いこともあります。トラウマを負う体験の後、多くの生存者は自身の記憶に対する恐怖と、その記憶を忘れてしまう恐怖を同時に抱いているといわれます。本日私たちがここに集っているのと同時に、ストックホルムでは医学、物理学、化学、文学のノーベル賞がそれぞれの受賞者に授与されています。日本被団協が今年の平和賞を受賞し、韓国の作家ハン・ガン氏がノーベル文学賞を受賞します。彼女の著書のなかでも、トラウマや記憶について書かれています。彼女は次のように述べています。
「トラウマとは、癒されたり回復したりするものではなく、受け入れるものだと私は信じています。悲しみとは、生者のなかに死者の空間を位置づけるものであり、その場所を繰り返し訪れることにより、私たちは生涯痛みを感じながらも静かにその場所を抱きしめることで、おそらく逆説的ではありますが、生きることが可能になると信じているのです。」
記憶は私たちを心の檻の中に閉じ込め、前に進むことを阻むこともできます。他方で、記憶が新たな人生への契機をもたらすこともあります。忘却という誘惑から私たちを守り、同時に苦難に見舞われた人々に敬意を表する手段にもなり得ます。記憶する活動は抵抗運動となり、変革の力ともなり得ます。そのためには、歴史の記述、文書化、啓発活動、個人の証言を聞くこと、またそれを具現する文学や芸術など、記憶のためにはあらゆる装置が必要です。
ノルウェー・ノーベル委員会は、身体的な苦痛や辛い記憶にもかかわらず、自らの体験を生かして平和への希望に尽力することを選んだ、すべての被爆者の方々を本日ここに称えたいと思います。また、私たちはすでにお亡くなりになったすべての被爆者の方々にも、敬意を表します。1945年以降、50万人余りの被爆者が命を失っています。彼らの多くは長年にわたり自らを立証者として、核兵器の禁止という重要な国際的タブーを発展させ、維持することに貢献してくださいました。
被爆者たちが歴史の証人として私たちの前からいなくなる日も、いつかは来るでしょう。しかし、この力強い記憶の文化と継続的な熱意によって、日本内外の若い世代の人々が、証言者たちの体験とメッセージを受け継いでいくことができるのです。そして彼らもまた世界中の人々を鼓舞し、伝えていくことになるでしょう。
ただし、彼らのみにこの責任を課すわけにはいきません。被爆者たちの遺産を受け継いでいくのは、私たちすべての人間の責任だといえます。被爆者たちは、私たちに明確で、道徳的な羅針盤を与えてくれました。今こそ、私たちの番が来たのです。軍縮を追求していくには、世論による主張と継続的な努力が必要です。勇気ある声、関心を持つ学生、意欲的な教師など新しい世代が必要になります。
また軍縮を実現するには、勇気と先見の明のある政治的指導者の存在が不可欠です。アメリカ合衆国、ロシア、中国、フランス、イギリス、インド、パキスタン、イスラエル、北朝鮮、現在9つの核保有国は、いずれも核軍縮や軍備管理には関心がないように見受けられます。それどころか、反対に核兵器の近代化や強化を進めようとしているようです。ノルウェー・ノーベル委員会は、核拡散防止条約に署名している5つの核保有国に対し、この条約に基づく義務を真剣に果たすよう求めます。さらに、より多くの国家が核兵器禁止条約を批准しなければなりません。政治的な舵取りが必要とされています。
今年の平和賞は「生きる権利」という、もっとも基本的な人権にかかわるものだといえます。今回の受賞は、人類のために最善を尽くすことに生涯を捧げてきた人々を表彰したいというアルフレッド・ノーベルの望みにかなったものです。
ここオスロにあるノルウェー・ノーベル研究所の委員会室には、1901年よりこれまで平和賞を受賞した人々の肖像写真が飾られています。そのうちの2枚は、それぞれ2022年、2023年に受賞したアレシ・ビャリャツキ氏、ナルゲス・モハンマディ氏です。彼らはノーベル平和賞を受賞した平和的な人権擁護活動のために、長い実刑判決を受けています。ノルウェー・ノーベル委員会は、イランおよびベラルーシの当局に対し、2人を直ちに、永久に、無条件で釈放するよう求めています。
受賞者たちの肖像写真は、たとえ戦争や不正義がなくなることはなくても、社会はより良い方向に向かって発展していく可能性を常に秘めていることを思い出させてくれます。少なくとも、ノーベル賞の歴史は活動することに意義があり、私たちが求める変化をもたらす手助けができることを示しています。
私たち人間は、過去の過ちを繰り返すことを運命づけられているわけではありません。なぜなら私たちは学ぶことができるからです。私たちは別の道を選ぶこともできるはずです。私たちは共通の人間性を信じるよう、子どもたちを育てることができます。ラッセルやアインシュタインに耳を傾け、私たちの人間性を思い起こすことができるはずです。
核兵器のない世界への道のりは、まだ長いと言わねばなりません。前進と後退、進歩もあれば挫折もあることでしょう。しかし、だからといって、このビジョンが現実のものとならないわけではありません。核兵器が最後に戦場で使われてから100年が経過した世界を想像してみましょう。きっとこれは私たち皆が共有できるはずのビジョンです。反核運動は無駄だという人々に耳を傾けることもできるでしょうが、被爆者たちの忍耐力と抵抗力に鼓舞される道を選ぶこともできるのです。
世界の安全保障が核兵器に依存するような世界で、文明が存続できると信じるのは浅はかです。世界は、人類の壊滅を待つ牢獄ではないはずです。たとえどれほど長く困難な道のりであっても、私たちは日本被団協から学ぶべきでしょう。決して諦めてはなりません。
だからこそ、被爆者たちの体験談に耳を傾けましょう。
彼らの勇気が、私たちを鼓舞してくれるでしょう。
彼らの忍耐強さが、私たちの原動力となるでしょう。
私たち皆で、核のタブーを守り続けるために努力しようではありませんか。
私たちの生存は、それにかかっているのですから。
著作権 © The Nobel Foundation, Stockholm, 2024.
国王王妃両陛下、殿下・妃殿下、名誉ある受賞者の皆様、ご来賓の皆様、ご列席の皆様
「私たちの前途にはーーもし私たちが選べばーー幸福や知識、知恵の絶え間ない進歩が広がっています。私たちはその代わりに、自分たちの争いを忘れられないからといって、死を選ぶのでしょうか?私たちは人類の一員として、同じ人類に対して訴えます。あなたが人間であること、それだけを心に留めて、他のことは忘れてください。それができれば、新たな楽園へと向かう道が開かれます。もしそれができなければ、あなたがたの前途にあるのは、全世界的な死の危険です。 それができれば、新たな楽園へと向かう道が開かれます。もしそれができなければ、あなたがたの前途にあるのは、全世界的な死の危険です。」
1955年にバートランド・ラッセルやアルバート・アインシュタインをはじめとする世界の著名な知識人たちは、このような問いを投げかけました。その有名なマニフェストは、核戦争の危険性を世界の指導者たちに訴え、国際紛争を平和的に解決する方法を模索するよう促しました。今日、私たちは改めて自問しなければなりません。私たちは人間性を忘れてはいないでしょうか?人類は光に向かって歩む道を選んだのか、それとも破壊と死への道を歩み続けるのでしょうか?
ラッセルとアインシュタインがこのマニフェストをしたためた時、アメリカの原爆が広島と長崎に落とされてから10年の月日が流れていました。そこでは12万人あまりの住民が殺されたのです。それと同じくらいの人々が、その後数か月から数年の間に、火傷や放射能障害によって亡くなりました。これらの都市はほぼ完全に破壊され、社会的・経済的崩壊をもたらしました。65万人近い生存者の多くは、精神的トラウマや身体的苦痛と闘ってきました。彼らは発言の場を与えられず、蔑ろにされ、差別され、経済的な権利と自分たちの体験を認めてもらうためにも闘わなければなりませんでした。
広島・長崎の被爆者による草の根運動である日本被団協が、核兵器のない世界の実現に向けた努力、特に核兵器が二度と使われてはならない理由を身をもって立証してきた功績により、2024年のノーベル平和賞を受賞することになりました。日本被団協の受賞は、ノルウェー・ノーベル委員会がこれまで核軍縮や軍備管理の提唱者たちに授与してきた錚々たる平和賞のリストに加わるものであります。受賞者たちは、さまざまな形で核兵器の脅威を減少させることに貢献してきました。これまで13回にわたる平和賞が、全面的または部分的にでも、このような平和運動に携わる人々に授与されてきました。ノルウェー・ノーベル委員会は、その度に核兵器に対する警告を世界に発してきました。今年、この警告は例年よりも重要です。
2025年が近づくにつれ世界は新たな、より不安定な核時代を迎えようとしています。国際政治における核兵器の役割が変わりつつあると言っていいでしょう。既存の核保有国は軍備の近代化や強化をはかり、また新たな国々が核保有の準備をしているように見えます。主要な軍備管理に関する協定が置き換えられることなく失効する一方で、現在進行中の戦争では、核兵器を使用するという脅迫が公然とかつ繰り返し行われています。
残念ながら、ここで私たち自身、核兵器がどのようなものか思い出す必要があるでしょう。核兵器は世界で最も破壊的な、未曾有の武器であることを忘れてはなりません。1万3000近くにおよぶ今日の核兵器は、日本で1945年に投下された原爆よりはるかに破壊力のあるものです。数百万人の命を一瞬にして奪い、それよりもっと多くの人々を傷つけ、さらには気候も壊滅的に破壊する可能性があります。核戦争は私たちの文明そのものを崩壊させることもできるのです。
核兵器の影が世界を覆っていることをしっかりと認識しなければなりませんが、私たちは本日、希望の精神をもってここに集いました。なぜなら、一筋の光があるからです。認識すべき光とは、つまり1945年以来、核兵器が使われていないということです。
第二次世界大戦の原爆攻撃を受けて、世界的な反核運動がおこりました。彼らは核兵器の使用が人類に壊滅的な影響を及ぼすという認識を高めるため、熱心な働きかけを続けてきました。そして次第に、核兵器使用は道徳的に許されないとする国際的な規範が生まれました。これは「核のタブー」と呼ばれるもので、この規範は本日ご列席の政治学者ニーナ・タンネンワルド氏によって提唱されたものです。他の国際規範と同じように核のタブーは、核兵器使用は道徳的に容認できないという相互的・集合的合意、およびその規範を破ることで人類に待ち受ける深淵に対する共通の恐怖によって維持されています。しかしながら、このタブーは脆く、特に時が経つにつれて、より脆く崩れ去る恐れもあります。だからこそ、私たちには思い起こす必要があると信じます。
日本被団協と被爆者たち(広島および長崎への原爆攻撃の生存者)の絶え間ない努力が、核兵器使用から私たちを守るための道徳的・国際法上の防波堤を築く過程に強く貢献してきました。核のタブーを築きあげていくにあたり、彼らの貢献は他に類をみないものでした。彼らの個人的な体験談が、歴史を人間的なものにしてくれます。彼らは「そこにいた人たち」と「歴史の暴力に触れていない私たち」との橋渡しとなり、その距離を縮めてくれるのです。彼らはまさに問題の深刻さ、何が危機に瀕しているのかを思い起こさせてくれる存在なのです。
日本被団協の皆様、田中熙巳様、箕牧智之様、田中重光様、そして被爆者の皆様、あなた方をここにお迎えできるのは名誉であり、歴史的な日となりました。皆様がこれまで生涯行ってこられた、そしてこれからも続けて行くであろう、比類なく貴重な活動に対し、深く感謝の意を捧げたいと思います。
あなた方は被害者であることに甘んじませんでした。あなた方はむしろ自らを生存者として定義しました。大国が核武装へと世界を導くなか、あなた方は恐怖の念に駆られながらも沈黙を拒否しました。あなた方は立ち上がり、かけがえのない証人として自身の体験を世界と分かちあう選択をしたのです。
暗闇の中で光をみつけ、将来への道を模索する、それは希望を与える行為です。
個人的な体験談、啓発活動、核兵器の拡散と使用に対する切実な警告、あなた方は数々の活動を通じて、数十年間にもわたり世界中で反核運動を生み出し、その結束を固めることに貢献してこられました。
私たちが筆舌に尽くしがたいものを語り、考えられないことを考え、核兵器によって引き起こされる想像を絶する痛みや苦しみを、自分のものとして実感する手助けをしてくださっています。
あなた方は決して諦めませんでした。
あなた方は抵抗し続ける力の象徴です。
あなた方は世界が必要としている光なのです。
私は40歳で、ノルウェーでは戦争を知らない世代に属しています。冷戦終結後に育ち、民主主義志向は止められないものと思われ、核軍縮も現実的でありました。私の世代は、歴史的にも稀な楽観主義の時代に生きていたように思えます。そのような時代は終わりました。私は社会人生活の半分以上、テロにより生じた影響に関する仕事に従事してきたこともあり、若い命が無残に引き裂かれる残酷さを身をもって体験してきました。痛み、悲しみ、トラウマと向きあう仕事をとおして、私は体験談や記憶の力を認識することの大切さを学んできました。
個人的にも共同体としても、トラウマや暴力の歴史をどのように記憶するかによって、社会が前に進むか、あるいは過去にとらわれたままでいるのか、それがどのような形で起こるのかは決定されます。 トラウマとなる出来事は、個人だけでなく社会全体を形成するといってよいでしょう。今の世代だけでなく、将来の世代に与える影響はとても大きいのです。忘れないことは、私たちの義務でもあります。次の世代へ体験談や記憶を語り継ぐことは、私たちの責任なのです。そのなかには、社会に忘れられやすい、辛く痛ましい記憶も含まれています。
権威を持つ国や権力者たちは、しばしば前に進むことを重視します。それは時には、誰かが責任を問われるのを避けたいために生じます。また、直接の被害を受けていない人々にとっては、その出来事を思い出さないで済めば楽になることもあるでしょう。私たちは他者の痛みに触れる苦悩を避けてしまい、それゆえ他者を思いやることを怠ってしまうのです。
また、被害を受けた当事者にとっては、自分自身の苦しみについて語ることが辛いこともあります。トラウマを負う体験の後、多くの生存者は自身の記憶に対する恐怖と、その記憶を忘れてしまう恐怖を同時に抱いているといわれます。本日私たちがここに集っているのと同時に、ストックホルムでは医学、物理学、化学、文学のノーベル賞がそれぞれの受賞者に授与されています。日本被団協が今年の平和賞を受賞し、韓国の作家ハン・ガン氏がノーベル文学賞を受賞します。彼女の著書のなかでも、トラウマや記憶について書かれています。彼女は次のように述べています。
「トラウマとは、癒されたり回復したりするものではなく、受け入れるものだと私は信じています。悲しみとは、生者のなかに死者の空間を位置づけるものであり、その場所を繰り返し訪れることにより、私たちは生涯痛みを感じながらも静かにその場所を抱きしめることで、おそらく逆説的ではありますが、生きることが可能になると信じているのです。」
記憶は私たちを心の檻の中に閉じ込め、前に進むことを阻むこともできます。他方で、記憶が新たな人生への契機をもたらすこともあります。忘却という誘惑から私たちを守り、同時に苦難に見舞われた人々に敬意を表する手段にもなり得ます。記憶する活動は抵抗運動となり、変革の力ともなり得ます。そのためには、歴史の記述、文書化、啓発活動、個人の証言を聞くこと、またそれを具現する文学や芸術など、記憶のためにはあらゆる装置が必要です。
ノルウェー・ノーベル委員会は、身体的な苦痛や辛い記憶にもかかわらず、自らの体験を生かして平和への希望に尽力することを選んだ、すべての被爆者の方々を本日ここに称えたいと思います。また、私たちはすでにお亡くなりになったすべての被爆者の方々にも、敬意を表します。1945年以降、50万人余りの被爆者が命を失っています。彼らの多くは長年にわたり自らを立証者として、核兵器の禁止という重要な国際的タブーを発展させ、維持することに貢献してくださいました。
被爆者たちが歴史の証人として私たちの前からいなくなる日も、いつかは来るでしょう。しかし、この力強い記憶の文化と継続的な熱意によって、日本内外の若い世代の人々が、証言者たちの体験とメッセージを受け継いでいくことができるのです。そして彼らもまた世界中の人々を鼓舞し、伝えていくことになるでしょう。
ただし、彼らのみにこの責任を課すわけにはいきません。被爆者たちの遺産を受け継いでいくのは、私たちすべての人間の責任だといえます。被爆者たちは、私たちに明確で、道徳的な羅針盤を与えてくれました。今こそ、私たちの番が来たのです。軍縮を追求していくには、世論による主張と継続的な努力が必要です。勇気ある声、関心を持つ学生、意欲的な教師など新しい世代が必要になります。
また軍縮を実現するには、勇気と先見の明のある政治的指導者の存在が不可欠です。アメリカ合衆国、ロシア、中国、フランス、イギリス、インド、パキスタン、イスラエル、北朝鮮、現在9つの核保有国は、いずれも核軍縮や軍備管理には関心がないように見受けられます。それどころか、反対に核兵器の近代化や強化を進めようとしているようです。ノルウェー・ノーベル委員会は、核拡散防止条約に署名している5つの核保有国に対し、この条約に基づく義務を真剣に果たすよう求めます。さらに、より多くの国家が核兵器禁止条約を批准しなければなりません。政治的な舵取りが必要とされています。
今年の平和賞は「生きる権利」という、もっとも基本的な人権にかかわるものだといえます。今回の受賞は、人類のために最善を尽くすことに生涯を捧げてきた人々を表彰したいというアルフレッド・ノーベルの望みにかなったものです。
ここオスロにあるノルウェー・ノーベル研究所の委員会室には、1901年よりこれまで平和賞を受賞した人々の肖像写真が飾られています。そのうちの2枚は、それぞれ2022年、2023年に受賞したアレシ・ビャリャツキ氏、ナルゲス・モハンマディ氏です。彼らはノーベル平和賞を受賞した平和的な人権擁護活動のために、長い実刑判決を受けています。ノルウェー・ノーベル委員会は、イランおよびベラルーシの当局に対し、2人を直ちに、永久に、無条件で釈放するよう求めています。
受賞者たちの肖像写真は、たとえ戦争や不正義がなくなることはなくても、社会はより良い方向に向かって発展していく可能性を常に秘めていることを思い出させてくれます。少なくとも、ノーベル賞の歴史は活動することに意義があり、私たちが求める変化をもたらす手助けができることを示しています。
私たち人間は、過去の過ちを繰り返すことを運命づけられているわけではありません。なぜなら私たちは学ぶことができるからです。私たちは別の道を選ぶこともできるはずです。私たちは共通の人間性を信じるよう、子どもたちを育てることができます。ラッセルやアインシュタインに耳を傾け、私たちの人間性を思い起こすことができるはずです。
核兵器のない世界への道のりは、まだ長いと言わねばなりません。前進と後退、進歩もあれば挫折もあることでしょう。しかし、だからといって、このビジョンが現実のものとならないわけではありません。核兵器が最後に戦場で使われてから100年が経過した世界を想像してみましょう。きっとこれは私たち皆が共有できるはずのビジョンです。反核運動は無駄だという人々に耳を傾けることもできるでしょうが、被爆者たちの忍耐力と抵抗力に鼓舞される道を選ぶこともできるのです。
世界の安全保障が核兵器に依存するような世界で、文明が存続できると信じるのは浅はかです。世界は、人類の壊滅を待つ牢獄ではないはずです。たとえどれほど長く困難な道のりであっても、私たちは日本被団協から学ぶべきでしょう。決して諦めてはなりません。
だからこそ、被爆者たちの体験談に耳を傾けましょう。
彼らの勇気が、私たちを鼓舞してくれるでしょう。
彼らの忍耐強さが、私たちの原動力となるでしょう。
私たち皆で、核のタブーを守り続けるために努力しようではありませんか。
私たちの生存は、それにかかっているのですから。
著作権 © The Nobel Foundation, Stockholm, 2024.