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誰もが核時代の当事者 被団協ノーベル平和賞 世界へ行動呼びかけ 田中熙巳さん受賞演説

 「人類が核兵器で自滅することのないように」。10日、ノルウェーのオスロ市庁舎であったノーベル平和賞の授賞式で、日本被団協代表委員の田中熙巳(てるみ)さん(92)が79年前に長崎で体験した原爆の惨禍を切々と訴えた。そんな証言を続けてきた被爆者がいなくなる時代を見据え、世界の誰もが核時代の当事者として行動するよう願った。(オスロ発 宮野史康)

 現地時間の午後1時、市庁舎ホールに、ファンファーレが鳴り響く中、田中さんは車いすで壇上に向かった。黒いスーツ姿で、襟元にはいつも通り被団協のツルのバッジを着けた。硬い表情を崩さなかったが、同じ代表委員の箕牧(みまき)智之さん(82)、田中重光さん(84)が賞状とメダルを受け取るとほほ笑んだ。

 歴史的な受賞演説。中央の演台に進むと、日本語で自らの被爆体験を語り始めた。13歳の時、爆心地から3・2キロ離れた自宅にいて「真っ白な光で体が包まれた」。3日後に入った爆心地近くに遺体が散乱し、大けがをした人が放置されていた惨状を証言。「戦争といえどもこんな殺し方、傷つけ方をしてはいけない」。会場の涙を誘った。

 原爆の死者に政府が償っていないと、予定外に2度繰り返した。核兵器の保有を前提とする核抑止論はきっぱり否定。「核兵器は一発たりとも持ってはいけないというのが原爆被害者の心からの願いだ」と語った。「みなさんがいつ被害者になってもおかしくないし、加害者になるかもしれない」と、核兵器をなくす行動を求めた。

 演説原稿は受賞発表後、1カ月余りで書き上げた。連日、夜遅くまで考え抜き、体調を崩した時も。就寝中に夢の中にも出てきた。9日にあった記者会見では「不安で不安でしょうがない」と弱気な一面ものぞかせた。一転、10日朝は笑顔で朝食を食べ、「緊張はちょっとどころではない」とおどけてみせた。言いよどむことなく、歴史的な大役をやり遂げた。

(2024年12月11日朝刊掲載)

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