被団協 ノーベル平和賞 世界の風向き変わる/バトン手渡す 差別ない社会へ/歴史向き合って 全ヒバクシャ救済を/未来へ希望
24年12月12日
日本被団協へのノーベル平和賞授賞式から一夜明けた11日、広島、山口県内の被爆者組織や市民団体からは受賞を実感した喜びが広がった。被爆の記憶伝承を改めて誓い、核兵器のない世界に向けて日本政府や国際社会の行動を期待する声も上がった。広島の韓国・朝鮮人被爆者の各団体代表は複雑な思いを口にした。
「大きな励みだ。今まで以上に頑張らねば」。三原市原爆被害者之会の苞山(ほうやま)正男会長(95)は力を込めた。自宅のテレビで授賞式を見届け「核兵器の恐ろしさを深刻に考える人が世界規模で増えるはず。風向きが変わるのでは」と期待した。
山口県被団協の林三代子会長(84)は「安心してちょうだい。ここまできたんよ」と、亡くなった仲間に語りかけた。受賞をきっかけに「世界のリーダーに核兵器は人類を滅ぼす絶対悪と伝わってほしい」と願った。
広島県安芸太田町原爆被害者の会の岩本誓治会長(81)は先人の努力に思いをはせ「次は日本政府が動く番。核兵器禁止条約への参加など核廃絶に向けた姿勢を見せるべきだ」と注文した。
受賞に気を引き締める意見も。元原爆資料館長で広島市原爆被害者の会の原田浩副会長(85)は「喜びより、大きな荷物を背負った気分」と受け止めた。「廃絶に向け、行政と市民が一体に行動ができているか。被爆80年へ、受賞をどうつなげるかが問われている」
被爆2世は、活動の継承へ思いを新たにした。三次市原爆被害者協議会の田口正行会長(67)は「次代の心に響くよう、どう語り伝えるかが大きな課題」と背筋を伸ばした。広島市の被爆体験伝承者として活動する広島県被団協(佐久間邦彦理事長)の古田光恵事務局次長(77)は「核兵器がタブーでなくなってきている危機感がある。若い人たちに平和のバトンをしっかり手渡す」と誓った。
韓国原爆被害者対策特別委員会の権俊五(クォン・ジュノ)委員長(75)は、代表委員の田中熙巳さんが演説で韓国人被爆者に触れたことを評価した。「被爆者として朝鮮半島出身者として二重に苦しんだ人々の存在が、世界に知られることで差別のない社会への一歩になれば」と期待した。
広島県朝鮮人被爆者協議会の金鎮湖(キム・ジノ)会長(78)は日本と国交がなく、援護から置き去りにされた北朝鮮の被爆者に言及がなかった点を残念がった。「なぜ朝鮮人被爆者が生まれたのか。歴史に向き合うことも大切だ」と力を込めた。
NPO法人ANT―Hiroshima(中区)の渡部朋子理事長(71)は、ノーベル賞委員会のフリードネス委員長が演説で核兵器使用の危機感を強めていたことを挙げ「広島と長崎が思いを共有し、応えられているかを考えさせられた」と振り返った。
「核政策を知りたい広島若者有権者の会」(カクワカ広島)共同代表の田中美穂さん(30)は、代表委員の田中熙巳さんが演説で原爆で亡くなった人が政府から償われていないと繰り返した場面が印象的だったと振り返った。「原爆で亡くなった人以外にも、救済されず、知られてもいないヒバクシャが国内外にまだいる」とし、全てのヒバクシャ救済を訴えていく姿勢を新たにした。
授賞式の中継を見て十数年ぶりに原爆資料館を訪れた中区の介護士渡辺真理さん(53)は「日本の高校生が参列している姿に未来への希望を感じた」と話した。
初めて平和記念公園に来たというイスラエル出身の会社員エリバン・カザズさん(22)は「被爆者の受賞はとても重要な意味を持つ。核の脅威がない平和で穏やかな暮らしを望む」と願っていた。
(2024年12月12日朝刊掲載)
世界の風向き変わる/バトン手渡す 被爆者組織
「大きな励みだ。今まで以上に頑張らねば」。三原市原爆被害者之会の苞山(ほうやま)正男会長(95)は力を込めた。自宅のテレビで授賞式を見届け「核兵器の恐ろしさを深刻に考える人が世界規模で増えるはず。風向きが変わるのでは」と期待した。
山口県被団協の林三代子会長(84)は「安心してちょうだい。ここまできたんよ」と、亡くなった仲間に語りかけた。受賞をきっかけに「世界のリーダーに核兵器は人類を滅ぼす絶対悪と伝わってほしい」と願った。
広島県安芸太田町原爆被害者の会の岩本誓治会長(81)は先人の努力に思いをはせ「次は日本政府が動く番。核兵器禁止条約への参加など核廃絶に向けた姿勢を見せるべきだ」と注文した。
受賞に気を引き締める意見も。元原爆資料館長で広島市原爆被害者の会の原田浩副会長(85)は「喜びより、大きな荷物を背負った気分」と受け止めた。「廃絶に向け、行政と市民が一体に行動ができているか。被爆80年へ、受賞をどうつなげるかが問われている」
被爆2世は、活動の継承へ思いを新たにした。三次市原爆被害者協議会の田口正行会長(67)は「次代の心に響くよう、どう語り伝えるかが大きな課題」と背筋を伸ばした。広島市の被爆体験伝承者として活動する広島県被団協(佐久間邦彦理事長)の古田光恵事務局次長(77)は「核兵器がタブーでなくなってきている危機感がある。若い人たちに平和のバトンをしっかり手渡す」と誓った。
差別ない社会へ/歴史向き合って 韓国・朝鮮人被爆者
韓国原爆被害者対策特別委員会の権俊五(クォン・ジュノ)委員長(75)は、代表委員の田中熙巳さんが演説で韓国人被爆者に触れたことを評価した。「被爆者として朝鮮半島出身者として二重に苦しんだ人々の存在が、世界に知られることで差別のない社会への一歩になれば」と期待した。
広島県朝鮮人被爆者協議会の金鎮湖(キム・ジノ)会長(78)は日本と国交がなく、援護から置き去りにされた北朝鮮の被爆者に言及がなかった点を残念がった。「なぜ朝鮮人被爆者が生まれたのか。歴史に向き合うことも大切だ」と力を込めた。
全ヒバクシャ救済を/未来へ希望 市民団体・旅行者
NPO法人ANT―Hiroshima(中区)の渡部朋子理事長(71)は、ノーベル賞委員会のフリードネス委員長が演説で核兵器使用の危機感を強めていたことを挙げ「広島と長崎が思いを共有し、応えられているかを考えさせられた」と振り返った。
「核政策を知りたい広島若者有権者の会」(カクワカ広島)共同代表の田中美穂さん(30)は、代表委員の田中熙巳さんが演説で原爆で亡くなった人が政府から償われていないと繰り返した場面が印象的だったと振り返った。「原爆で亡くなった人以外にも、救済されず、知られてもいないヒバクシャが国内外にまだいる」とし、全てのヒバクシャ救済を訴えていく姿勢を新たにした。
授賞式の中継を見て十数年ぶりに原爆資料館を訪れた中区の介護士渡辺真理さん(53)は「日本の高校生が参列している姿に未来への希望を感じた」と話した。
初めて平和記念公園に来たというイスラエル出身の会社員エリバン・カザズさん(22)は「被爆者の受賞はとても重要な意味を持つ。核の脅威がない平和で穏やかな暮らしを望む」と願っていた。
(2024年12月12日朝刊掲載)