核廃絶へ受賞は「始まり」 被団協ノーベル賞 県内の被爆者ら 「より強く恐ろしさ言う」「平和活動続ける励みに」
24年12月12日
日本被団協へのノーベル平和賞授賞式から一夜明けた11日、山口県内の被爆者や平和活動に関わる人たちは、核兵器の脅威に注目が集まり、廃絶の必要性への理解が深まるよう期待を寄せた。被爆体験を広く伝え、記憶を継承していくことの大切さを強調した。(山本祐司、川村奈菜、江頭香暖)
16歳の時、広島の爆心地から2キロの地点で被爆した柳井市の浅海頼子さん(96)は授賞式をテレビで見守った。「あれだけの犠牲者が出た悲劇。核兵器の恐ろしさを世界にアピールする機会になる」と、日本被団協の田中熙巳(てるみ)代表委員(92)の演説に耳を傾けた。
自身も2013年に非政府組織(NGO)ピースボートの船旅に参加して世界を巡り、証言活動をした。「体験したからこそ話すことができる」と証言の力を信じる。一方でテレビ画面を見ながら寂しさも感じた。坪井直(すなお)さん(21年に96歳で死去)たち平和運動を引っ張った、今は亡き被爆者が思い浮かんだという。「核兵器の恐ろしさを、より強く言っていかないと」。そう前を見据えた。
太平洋戦争末期に米軍の爆撃機が墜落した柳井市伊陸。墜落後に移送された広島で被爆死した米兵の史実を伝える武永昌徳さん(73)は被団協の受賞を「これが始まり」と受け止める。「核兵器が使われれば人種も国境も関係なく被害が及ぶ」と今後も変わらず訴える。
「被団協という団体が受賞したが、ほそぼそと活動を続ける私たちにとっても励みになる」。広島市で生まれ、原爆をテーマに詩を創る岩国市の長津功三良(こうざぶろう)さん(90)は喜ぶ。原爆投下時は疎開中だった。変わり果てた街の姿を詩に編む。「これからも繰り返し訴えていくしかない。たとえ直接体験した被爆者がいなくなったとしても」
国による被爆者への援護は一定の進展を見せたが、被爆2世には限定的なままだ。全国被爆二世団体連絡協議会の寺中正樹副会長(62)=山口市=は「2世を援護することは核兵器の被害の大きさを示すことになる。被害が世代を超える可能性があることを国は認めてほしい」と求めた。
県内の被爆者を支えてきた県原爆被爆者支援センターゆだ苑(山口市)の八代拓理事長(42)は「核兵器廃絶が国際的な規範になっていく契機」と今回の受賞を意義づける。核抑止論を支持する各国政府に「核兵器さえなければ核戦争の危険性がないという考えに改めないといけない」と投げかけた。
(2024年12月12日朝刊掲載)
16歳の時、広島の爆心地から2キロの地点で被爆した柳井市の浅海頼子さん(96)は授賞式をテレビで見守った。「あれだけの犠牲者が出た悲劇。核兵器の恐ろしさを世界にアピールする機会になる」と、日本被団協の田中熙巳(てるみ)代表委員(92)の演説に耳を傾けた。
自身も2013年に非政府組織(NGO)ピースボートの船旅に参加して世界を巡り、証言活動をした。「体験したからこそ話すことができる」と証言の力を信じる。一方でテレビ画面を見ながら寂しさも感じた。坪井直(すなお)さん(21年に96歳で死去)たち平和運動を引っ張った、今は亡き被爆者が思い浮かんだという。「核兵器の恐ろしさを、より強く言っていかないと」。そう前を見据えた。
太平洋戦争末期に米軍の爆撃機が墜落した柳井市伊陸。墜落後に移送された広島で被爆死した米兵の史実を伝える武永昌徳さん(73)は被団協の受賞を「これが始まり」と受け止める。「核兵器が使われれば人種も国境も関係なく被害が及ぶ」と今後も変わらず訴える。
「被団協という団体が受賞したが、ほそぼそと活動を続ける私たちにとっても励みになる」。広島市で生まれ、原爆をテーマに詩を創る岩国市の長津功三良(こうざぶろう)さん(90)は喜ぶ。原爆投下時は疎開中だった。変わり果てた街の姿を詩に編む。「これからも繰り返し訴えていくしかない。たとえ直接体験した被爆者がいなくなったとしても」
国による被爆者への援護は一定の進展を見せたが、被爆2世には限定的なままだ。全国被爆二世団体連絡協議会の寺中正樹副会長(62)=山口市=は「2世を援護することは核兵器の被害の大きさを示すことになる。被害が世代を超える可能性があることを国は認めてほしい」と求めた。
県内の被爆者を支えてきた県原爆被爆者支援センターゆだ苑(山口市)の八代拓理事長(42)は「核兵器廃絶が国際的な規範になっていく契機」と今回の受賞を意義づける。核抑止論を支持する各国政府に「核兵器さえなければ核戦争の危険性がないという考えに改めないといけない」と投げかけた。
(2024年12月12日朝刊掲載)