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連載・特集

緑地帯 玉本英子 ウクライナ 戦火の地で④

 「私たちは代々、戦争や抑圧の中で苦労してきました」。そう話すのは、ウクライナ南部オデッサでコリアンレストランを営む38歳のウラジミール・キムさんだ。彼は「高麗人」。主に19世紀に朝鮮半島から極東ロシアへ移住した人々の子孫だ。

 その歴史は苦難に満ちている。20世紀に入り、日本が満州事変を経て大陸へ権益を広げる中、旧ソ連の指導者スターリンは極東・沿海州の高麗人を「日本の協力者」と決めつけ、中央アジアに強制移住させた。その数は17万に及ぶ。人々は、荒れ地を耕し生き延びた。

 ソ連の崩壊後、中央アジア諸国では民族運動が高揚し、政治も混乱した。社会不安の中、高麗人の一部は沿海州に戻ったほか周辺国に移り住み、ウクライナにもたどり着いた。

 キムさんの両親は、ウズベキスタンからウクライナ東部のドネツクに移住。だが2014年に地域紛争(ドンバス戦争)が起き、オデッサに逃れた。資金をためて開業したレストランが軌道に乗った直後、ロシア軍がウクライナに侵攻。キムさんの親戚や知人は、相次いで韓国に避難した。

 今、キムさんを元気づけるのは、地元の若者たちだ。Kポップはウクライナでも大人気で、多くのファンが食事にやって来る。「戦争の中でも希望を捨てないこと。それが未来につながります」。キムさんは、一家が受け継いできた秘伝のキムチを私に振る舞ってくれた。甘辛い味が口の中に広がった。 (ジャーナリスト=大阪府)

(2024年12月12日朝刊掲載)

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