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田中熙巳さん「犠牲者の国家補償ない」 演説で予定外の国批判 「受忍論」否定 運動の原点

 ノルウェー・オスロで10日にあったノーベル平和賞の授賞式で、演説した田中熙巳(てるみ)代表委員(92)が、原爆の犠牲者に対する国家補償を拒み続けてきた政府を重ねて批判した。「もう一度繰り返します」と予定外に言及。世界が注目する場で、幾多の死者の無念を背負ってきた運動の「原点」を示し、今も絶えない市民の戦争被害に国家がどういう態度をとるか問いかけた。(岡田浩平、オスロ宮野史康)

 田中さんは演説で、被団協の運動と国の援護策の変遷を説明。1994年に被爆者援護法が制定されたが、「何十万人という死者に対する補償は全くなく、日本政府は一貫して国家補償を拒み、放射線被害に限定した対策のみを今日まで続けている」とまず訴えた。

 その上で、正面を見据え「もう一度繰り返します。原爆で亡くなった死者に対する償いは、日本政府は全くしていない事実をお知りいただきたい」と述べた。11日の記者会見で、「話している中で、もう一度これを強調したいと。戦争の犠牲に対して国がどういう態度をとるかは、国際的な、今の国家と国民の間にある問題だ」と理由を語った。

 背景に、被団協の運動の歴史がある。56年8月、長崎市での結成大会で壇上に「原水爆禁止運動の促進」とともに「原水爆犠牲者の国家補償」のスローガンを掲げた。翌月の代表者・理事会で決めた「原爆被害者援護法案要綱の柱」には、犠牲者に対する弔慰金と遺族年金制度の制定を盛り込んでいる。

 しかし57年に施行された原爆医療法は、被爆者健康手帳の交付や年2回の健康診断を定めたほかは、厚生相が原爆症と認定した病気に限り医療費を支給する「簡単なもの」(田中さん)。被団協は66年の「原爆被害の特質と『被爆者援護法』の要求」(つるパンフ)で政府の戦争責任を問い、国家補償を迫るが、68年施行の被爆者特別措置法にも、犠牲者への弔慰金はなかった。

 戦争被害を国民が等しく受忍しなければならないとした、厚生相の私的諮問機関「原爆被爆者対策基本問題懇談会」(基本懇)の意見に猛反発し、「運動の憲法」である「原爆被害者の基本要求」を84年にまとめている。「広島、長崎の犠牲がやむを得ないものとされるなら、それは核戦争を許すことにつながる」と主張。国による原爆被害の補償は、同じ被害を繰り返さない誓いであり、ひいては皆の利益になると説いている。

 ノーベル賞委員会は授賞理由やフリードネス委員長のスピーチで、被爆者たちの証言が核兵器を使わせてはならないという「核のタブー」を確立したとたたえたが、被爆者救済の歴史には触れなかった。被団協の運動で、核兵器廃絶と原爆被害に対する国家補償は不可分一体―。田中さんは歴史的な演説で、そう指し示し、核兵器を廃絶するという「未来への保証」のため、犠牲者への国の償いを迫った。

(2024年12月12日朝刊掲載)

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