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[ヒロシマドキュメント 1945年] 12月 米 被爆者に聞き取り

 1945年12月。米戦略爆撃調査団は、広島で被爆者たちに聞き取り調査をしていた。戦時中の空襲が日本人の士気に与えた影響を調べるのが主な目的で、11月から全国で取り組んでいた。

 質問は生活状況に加え、原爆や進駐軍の方針への受け止めなど41項目。「日本人には絶対に知らせない」と約束し、1人当たり2時間前後が費やされた。広島市が74年に米国立公文書館から入手した録音テープには、調査時に16~59歳だった被爆者の男女13人の肉声が残る。

 その一人、市立第一高等女学校(市女、現舟入高)の校長だった宮川造六さんは生前にテープを聞いて自らの声を確認した。様子を報じた74年11月27日付中国新聞によれば、突然呼び出され、胡町(現中区)にあった進駐軍の事務所に連れて行かれて面接を受けたといい、「目的も聞かされず、何か処罰の対象になる取り調べのような雰囲気だった」と振り返っている。

 市女は爆心地近くで建物疎開作業に動員された1、2年生541人が全滅していた。宮川さんは広島駅近くで被爆して助かっており、調査団の聞き取りに「疎開作業に生徒を大勢だし、それが死んだ。会わす顔がなく、早く学校を辞めて責任を取ろうと思った」と語った。「終戦後、学徒になんらの慰めも救助も手を下さない」と政府や軍への不満も述べている。

 ほかに陸軍船舶司令部の軍医だった林哲雄さん、白系ロシア人のカレリア・ドレイゴさんも特定されている。調査団は、広島、長崎市とその近郊の「原爆地域」で計248人から聞き取り、47年に報告書にまとめた。(山下美波)

(2024年12月16日朝刊掲載)

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