×

連載・特集

キング牧師の夢の行方 ノーベル平和賞60年 <上> 不正義への抵抗

 日本被団協がノーベル平和賞を受賞した2024年は、米公民権運動の指導者マーチン・ルーサー・キング牧師(1929~68年)が同賞を受けて60年の節目でもある。「私には夢がある―」。人種差別解消に人生をささげたキング牧師の歩みと言葉は、現代を生きる私たちに忘れてはいけないメッセージを投げかける。中国地方にゆかりのある識者2人にインタビューし、連載で紹介する。(山田祐)

文筆家 榎本空(そら)さん(36)=沖縄・伊江島在住、キリスト教愛真高(江津市)卒=に聞く

平和と平等の希求 非暴力で貫く

未完の願い 次世代が受け継いで

  ―神学生として歩む中、27歳で米ニューヨークのユニオン神学校に留学したことで、キング牧師への理解が深まったそうですね。

 「黒人神学の父」と呼ばれたジェイムズ・H・コーン(2018年、79歳で死去)に15年から師事し、ゼミで仲間と議論を交わす日々を2年間過ごしました。

 キングといえば、1963年の「ワシントン大行進」での演説が真っ先に思い浮かぶ人が多いでしょう。「私には夢がある」と繰り返し、人種差別の撤廃と真の平等の実現を訴えました。翌64年のノーベル平和賞受賞に結び付きます。  米国社会で周縁的にしか扱われていなかった人種差別の問題を広く提起した功績は、誰もが認めるところでした。

 一方、コーンは「キングの神学は美し過ぎる」とも言いました。白人との融和を強調するあまり「白人優越主義」に異を唱えることまでは至らなかった、との評価です。

 「私には夢がある」という聞き心地の良いフレーズだけが覚えられ、バラク・オバマ氏の黒人初の米大統領就任(09年)でその夢は完結したかのように社会の大多数には受け止められてしまった。でも現実を見れば、黒人の若者が警察官に射殺される事件が相次いでいる―。

 矛盾が露呈する中、コーンのゼミでは、大多数とは異なるキングの記憶の仕方を模索しました。

 キングはノーベル平和賞受賞後、68年に暗殺されるまでの間に活動の幅を広げます。ベトナム戦争への反対を打ち出したほか、貧困の問題にも声を上げます。

 黒人の学生が多くいたコーンのゼミで、評価が割れる中でもみんなが心の奥底ではキングを大切にしていたのは、「不正義への抵抗」を徹底した晩年の姿への共感が大きかったように思います。

  ―人種差別の問題に向き合うことになった米国留学のきっかけを教えてください。

 同志社大大学院に在学中、台湾に留学しました。お世話になった教授にコーンに学ぶことを勧められたのが始まりでしたが、大きく心が動いた背景には私自身の生い立ちがあったと思います。

 私が1歳の時、家族で沖縄の伊江島に移住しました。戦後、米軍による土地収奪に抗議し農民たちとともに闘った阿波根昌鴻(あはごんしょうこう)さん(02年、101歳で死去)に父が「弟子入り」するためでした。

 すでに阿波根さんは90歳近く、優しいおじいさんという思い出しかないですが、物心ついてからその過酷な土地闘争を知りました。

 生き延びるために闘わざるを得なかった島の人々と、不条理な差別を受ける黒人の苦しみが重なりました。コーンに学ぶことが絶対的な使命であるかのように思えたんです。

 キングと阿波根さんはいずれも非暴力での抵抗を貫いています。ほぼ同時期に活動を始めているのも運命的に思えます。加えて、先を見通したかのようなメッセージも共通します。

 キングは亡くなる前年、ユニオン神学校のすぐ近くの教会でベトナム戦争に反対する演説をします。「何とかしてこの狂気を止めなくてはいけない―」。強い切迫感の込められた言葉は「私には夢がある」のイメージとは一線を画します。

 阿波根さんは聖書の「剣を取る者は皆、剣にて滅びる」という言葉をベースに、「基地をもつ国は基地で亡(ほろ)び 核を持つ国は核で亡ぶ」と言いました。伊江島では核の模擬爆弾の投下訓練が行われてもいたからです。被爆地広島の皆さんと共通する思いかもしれません。社会に突き付ける、ある種の滅びの予言のように思えます。

 世界各地で紛争が続く今、2人の悲観的な言葉にこそ着目するべきだと思います。

  ―どの時代にも共有したい普遍的なメッセージですね。

 キングと阿波根さんのもう一つの共通点は、いずれも運動が成功に結び付いていないことです。

 人種差別は全くなくなっていません。伊江島も今、国の交付金をまちづくりに活用していて、基地との共存を図っているのが現状です。島民にとって阿波根さんの記憶とは、実現できなかった「夢」を突き付けてくる存在でもあるわけです。

 一方、新たな動きも芽生えています。米国では人種差別に抗議する「ブラック・ライブズ・マター(黒人の命も大事)」運動が草の根で広がりました。伊江島では、自分たちの過去を語り直そうという動きが起こり始めています。

 未完に終わってしまった夢ですが、見方を変えれば「夢は今も続いている」と言うこともできます。次の世代に託されたものなのだと受け止めています。

 差別や抑圧の形態はしつこく、一度解消したとしても何度でも現れるでしょう。だからこそ、キングたちが誠実に訴え続けた平和と平等を希求するメッセージを掘り起こす営みを、絶やすことなく続けなくてはいけません。

マーチン・ルーサー・キング
 米国の黒人公民権運動指導者。「私には夢がある」のフレーズで知られる1963年のワシントンでの演説は、平易な言葉で人種差別撤廃を訴えた。64年にノーベル平和賞受賞。39歳だった68年4月、凶弾に倒れた。

(2024年12月16日朝刊掲載)

年別アーカイブ