オスロの灯 被団協ノーベル平和賞 <下> 被爆者の熱 継ぐのは若者
24年12月16日
「高校生の活動で核兵器はなくならないという人がいるけど、過去から学び、行動しなければならないという声も聞く。私たちの活動が心に響く人はいる」。11日、ノルウェー・オスロであった被爆者と若者の対話集会で、85人を前に高校生平和大使の基町高2年甲斐なつきさん(17)=広島市西区=が核兵器廃絶に取り組む思いを語った。
日頃から署名活動などに取り組む甲斐さんは、九州の大使3人と8~12日にオスロを訪問。日本被団協へのノーベル平和賞授賞式に出席したり、現地の高校で原爆被害などに関する出前授業をしたりした。
11日は反戦運動などの会場になる広場で、広島市が1995年にオスロ市へ贈った被爆石を見学。同行した地元の反核団体「核兵器にノー」ゼネラルマネジャーのグンナー・ジョンソンさん(33)は大使の活動に関心を持って質問を重ね「核兵器をなくす闘いの真ん中に、被爆者に加えて若者がいるのは意義深い」と受け止めた。
被爆者の平均年齢は85歳を超えた。70年代後半から本格化し、被団協運動の柱の一つである海外での証言は新型コロナウイルス禍もあり、減っている。被団協が2022年の核拡散防止条約(NPT)再検討会議に送った代表団は4人だった。
スマホで生中継
今回の授賞式では、被団協の代表団のほか、日本原水協と非政府組織(NGO)ピースボートの企画で、被爆者計約30人が極寒の北欧に飛んだ。その熱量を伝え、運動の広がりにつなげようと試みた若者もいた。
ピースボートなどの活動に加わった一般社団法人「核兵器をなくす日本キャンペーン」の浅野英男さん(28)は11日、ホテルのロビーからスマートフォン一つでライブ中継。オスロで活動する10~90代の約15人が出演し、広島県被団協理事長の佐久間邦彦さん(80)は、核兵器廃絶へ被爆地広島の果たすべき役割を考えるよう呼びかけた。
浅野さんによると、こうした取り組みは、22年の核兵器禁止条約締約国会議の頃から目立ち始めたという。「被爆者だけでは難しい部分を若い世代が補い、世代を超えて力を合わせていきたい」と言う。
心境が変化した
平和賞はオスロの若者の関心も喚起した。11日にオスロ大であった被団協の代表理事たちによる講演には200人以上の学生たちが集まった。「テレビで見た高齢の被爆者が必死に訴える姿が気になった」「想像するのと、実際に聞くのでは違う」…。
ビジネススクールに通うスベンビヨーネレシュー・ルータさん(25)は被爆による長期的な精神面への影響を初めて認識したという。ロシアに対抗し、北大西洋条約機構(NATO)の核抑止に頼らざるを得ないと思っていたが「暴力的な連鎖は終わらせてほしいという被爆者の教えが心に残った」と心境の変化を打ち明ける。
ノーベル賞委員会のフリードネス委員長(40)は授賞式のスピーチで「被爆者たちの遺産を受け継いでいくのは全ての人間の責任だ。私たちの番が来た」と鼓舞した。被団協、被爆者たちが絶やすことなく掲げてきた核兵器も戦争もない平和な社会を照らす灯(ともしび)は、オスロでひときわ輝き、若者たちに確かに託された。(下高充生)
(2024年12月16日朝刊掲載)
日頃から署名活動などに取り組む甲斐さんは、九州の大使3人と8~12日にオスロを訪問。日本被団協へのノーベル平和賞授賞式に出席したり、現地の高校で原爆被害などに関する出前授業をしたりした。
11日は反戦運動などの会場になる広場で、広島市が1995年にオスロ市へ贈った被爆石を見学。同行した地元の反核団体「核兵器にノー」ゼネラルマネジャーのグンナー・ジョンソンさん(33)は大使の活動に関心を持って質問を重ね「核兵器をなくす闘いの真ん中に、被爆者に加えて若者がいるのは意義深い」と受け止めた。
被爆者の平均年齢は85歳を超えた。70年代後半から本格化し、被団協運動の柱の一つである海外での証言は新型コロナウイルス禍もあり、減っている。被団協が2022年の核拡散防止条約(NPT)再検討会議に送った代表団は4人だった。
スマホで生中継
今回の授賞式では、被団協の代表団のほか、日本原水協と非政府組織(NGO)ピースボートの企画で、被爆者計約30人が極寒の北欧に飛んだ。その熱量を伝え、運動の広がりにつなげようと試みた若者もいた。
ピースボートなどの活動に加わった一般社団法人「核兵器をなくす日本キャンペーン」の浅野英男さん(28)は11日、ホテルのロビーからスマートフォン一つでライブ中継。オスロで活動する10~90代の約15人が出演し、広島県被団協理事長の佐久間邦彦さん(80)は、核兵器廃絶へ被爆地広島の果たすべき役割を考えるよう呼びかけた。
浅野さんによると、こうした取り組みは、22年の核兵器禁止条約締約国会議の頃から目立ち始めたという。「被爆者だけでは難しい部分を若い世代が補い、世代を超えて力を合わせていきたい」と言う。
心境が変化した
平和賞はオスロの若者の関心も喚起した。11日にオスロ大であった被団協の代表理事たちによる講演には200人以上の学生たちが集まった。「テレビで見た高齢の被爆者が必死に訴える姿が気になった」「想像するのと、実際に聞くのでは違う」…。
ビジネススクールに通うスベンビヨーネレシュー・ルータさん(25)は被爆による長期的な精神面への影響を初めて認識したという。ロシアに対抗し、北大西洋条約機構(NATO)の核抑止に頼らざるを得ないと思っていたが「暴力的な連鎖は終わらせてほしいという被爆者の教えが心に残った」と心境の変化を打ち明ける。
ノーベル賞委員会のフリードネス委員長(40)は授賞式のスピーチで「被爆者たちの遺産を受け継いでいくのは全ての人間の責任だ。私たちの番が来た」と鼓舞した。被団協、被爆者たちが絶やすことなく掲げてきた核兵器も戦争もない平和な社会を照らす灯(ともしび)は、オスロでひときわ輝き、若者たちに確かに託された。(下高充生)
(2024年12月16日朝刊掲載)