笹森恵子さん死去 在米被爆者 渡米治療に参加 92歳
24年12月19日
広島で被爆し、10年後にケロイド治療のため渡米した女性25人の1人で、在米被爆者の笹森恵子(ささもり・しげこ)さんが現地時間15日午後6時45分、老衰のため米カリフォルニア州マリナ・デル・レイの自宅で死去した。92歳。広島市中区出身。葬儀は未定。
広島女子商業学校(現広島翔洋高)1年の時に動員され、爆心地から約1・5キロの鶴見橋西詰め付近で建物疎開の片付け作業中に被爆。顔や手に大やけどを負った。米ジャーナリストの故ノーマン・カズンズ氏や広島流川教会の故谷本清牧師の尽力で実現した渡米治療に参加。1955年にニューヨークの病院で形成外科手術を受けた。
当時「ヒロシマ・ガールズ」と盛んに報じられ、身をもって原爆の非人道性を伝えた。帰国後にカズンズ夫妻の養子になり、58年に再渡米。80年代に米議会で被爆体験を証言をするなど、米国内外で活動した。
(2024年12月19日朝刊掲載)
広島女子商業学校(現広島翔洋高)1年の時に動員され、爆心地から約1・5キロの鶴見橋西詰め付近で建物疎開の片付け作業中に被爆。顔や手に大やけどを負った。米ジャーナリストの故ノーマン・カズンズ氏や広島流川教会の故谷本清牧師の尽力で実現した渡米治療に参加。1955年にニューヨークの病院で形成外科手術を受けた。
当時「ヒロシマ・ガールズ」と盛んに報じられ、身をもって原爆の非人道性を伝えた。帰国後にカズンズ夫妻の養子になり、58年に再渡米。80年代に米議会で被爆体験を証言をするなど、米国内外で活動した。
(2024年12月19日朝刊掲載)