キング牧師の夢の行方 ノーベル平和賞60年 <下> 生活の中で
24年12月23日
南小倉バプテスト教会(北九州市)牧師 谷本仰(あおぐ)さん(61)=路上生活者支援のNPO法人抱樸(ほうぼく)副理事長=に聞く
社会構造に働きかける言葉紡ぐ
人間らしさの回復 希望絶やさず
人種差別の解消に人生をささげたマーチン・ルーサー・キング牧師(1929~68年)から、現代社会を生きる私たちが何を学び取るべきなのか。ノーベル平和賞受賞から60年に合わせた連載の2回目は、路上生活者の支援をライフワークとし、音楽家として広島などでも公演を重ねるキリスト者の思いを紹介する。(山田祐)
―キング牧師の説教をたびたび交流サイト(SNS)で紹介していますね。
学生時代から路上生活者を支援する活動に身を投じてきました。バイオリンや音楽療法にも向き合う日々。牧師としては宗教を広めることよりも、キリスト教の世界に身を置きながら社会に何ができるかを考え続けてきました。
誰かを苦しめる構造みたいなものが社会にはあって、苦しんでいる人たちが叫びうめいている。手をこまねいてはいられません。その点で、差別から黒人を解放するために闘い続けたキングに共感する部分は大きいです。
キングの説教はスケールが大きく、自由で面白いんです。一般的な説教といえば、教義の説明や信仰の大切さを強調するあまり、社会のしんどさや苦しみとの響き合いに欠けたものになりがちです。
それに対し、キングの言葉は現実の抑圧に対してストレートに紡がれた言葉にあふれています。宗教も社会の構造そのものに働きかけることができるのだと教えてくれます。キングの説教を読むたび、彼なりの神学にどんどん引かれていきました。
苦しい現実を味わっている人々に何が言えるか。心から考えている人の説教はやっぱり良いと思うし、私自身もそうありたい。そうでなければ人の心には響かないでしょう。
―キング牧師と重なる、抑圧された人々とともに歩む活動の原点を教えてください。
大学時代、友人に誘われて釜ケ崎(大阪市西成区の日雇い労働者の街、あいりん地区)に足を踏み入れました。そこでは年間数百人もの人が路上などで亡くなっていると知りました。
日本は平和で豊かな社会だと何となく考えていたわけですけど、自宅から電車でわずか1時間のところにそんな現実が広がっている。人生観が揺らぎました。
卒業後に渡米してバイオリンの研さんを積むつもりでいたのですが、「ちょっと待てよ」と。釜ケ崎の人の多くはおそらく一生、バッハやベートーベン、チャイコフスキーの音楽を知らないまま生きていくのだろうと考えたんです。
厳しくつらい労働を続け、病気やけがをすれば路上に追い出されて命の危険にさらされる。そういう人たちがいる世界で、のんきに音楽をやっていていいのだろうかと思い悩みました。
同時に、幼い頃から信仰するキリスト教の意味についても問われました。次々と人の命が失われているこの世界で、自分だけの救いや心の安定を求める宗教に意味があるのだろうかと。
先輩や友人の勧めで進んだ福岡市の大学の専攻科を経て、今の教会で牧師になりましたが、宗教を広めたいという意識はほとんどありません。
人間が人間らしさを回復するとか、生きる、ということにみんなで向かっていくことに関心を向けています。だからキングにも共感するんです。それでいいのだと信じています。
―幅広い分野での活動が続きますが、今後はどのように歩もうと考えていますか。
宗教や音楽に何ができるのかという問いはずっと持ち続けていますが、同時に「役に立つ」ということの危うさも考えています。人間の命の大切さは、役に立つか立たないかという点に判断基準はないはずですから。
だから無用なものであってもいいんじゃないのか、という気もしてきているんです。若い頃に思い悩んだ音楽の有用性。それらを模索すること自体が、私の嫌う「人間を有用と無用に分ける」世界観に加担しているのではないか―。今はそう思っています。
キングはある説教で「必ず夜明けはくる」と言いました。絶望の闇のただ中にいたとしても、夜明けの到来を確信して正しい行動を選び取ることでこそ「希望」が得られるのだと示しています。
キング自身も公民権法の制定やノーベル平和賞受賞の1964年以降、68年に暗殺されるまで、支持者を失うなど苦悩の日々を送ります。それでももがくように、希望に基づいて最期まで闘うことをやめませんでした。
誰しも、夜明けに至るまでの長い夜を生き延びなければいけません。しんどい現実を生き延びるための手段の一つとして宗教もあるべきだし、音楽もあっていいと考えているんです。「もう1日生きてみようかな」と誰かが思えるものであれたら、と願っています。
(2024年12月23日朝刊掲載)