広島の被爆敷石 北海道で記念碑に 深川市役所の前庭に建立 出身者が尽力 非核願い 被爆者の記憶を次代へ
24年12月23日
北海道深川市役所の前庭に、広島原爆の爆心地から約1キロにあった広島市役所旧庁舎の被爆敷石を使った記念碑が建立された。被爆地での平和学習などを通じて広島市民と草の根交流を続けてきた、深川市出身の野嶽次郎さん(68)=北海道剣淵町=の働きかけで実現した。(森田裕美)
完成した碑は縦約150センチ、横約90センチの平たい形状で、その上に80センチ四方で厚さ約15センチ、重さ約80キロの被爆敷石が置かれている。「旧広島市役所前庭被爆敷石」と記された説明板が配され、野嶽さんが広島で拾った原爆瓦もあしらわれている。
野嶽さんは1983年夏、深川市で開いた「原爆資料展」の実行委員として、同市の小中高生を連れて広島を訪問。被爆者から体験を聞くなどして、原爆被害の実情に触れた。子どもたちと熱線の痕が残る原爆瓦も拾い、「物言わぬ証人」として、記憶を後世に伝える被爆遺物の重みを痛感したという。
その後3年間、映画関連の仕事をしながら、広島で生活。広島県朝鮮人被爆者協議会会長だった李実根(リシルグン)さん(2020年死去)たち多くの被爆者と親交を深めた。「被爆者の思いを伝えていきたいという思いが強くなった」と振り返る。
85年、広島市の旧庁舎が解体されることを知った野嶽さんは、当時の荒木武市長に被爆建物である旧庁舎の保存を求める手紙を出した。しかし老朽化で解体は避けられない。諦め切れない野嶽さんは「建物を残すのが無理ならせめて廃材をください」と再び手紙を書いた。しばらくして広島市から返事があり、被爆敷石を譲り受けた野嶽さんは、地元深川市に「非核を願う記念碑をつくって」と寄贈した。
深川市は広く市民の目に触れるようにと、市役所1階ロビーに「原爆被爆の石」として展示してきた。だが記念碑建立を訴え続ける野嶽さんの熱い思いを聞き、深川市庁舎の建て替えに伴う前庭整備に合わせ、碑の建立を決めた。同市総務課によると11月中旬に設置。今は雪に埋もれており、来年8月6日、同市が毎年開く「非核平和都市宣言記念式」で市民に周知する方針だ。
野嶽さんは日本被団協のノーベル平和賞受賞にも触れ、「被爆者の思いを受け継いだ僕たちがまたこの先の人たちに継いでいかなくては」と力を込める。「歳月とともに被爆者がいなくなっても、この碑があれば記憶を受け止めてもらえる」と期待する。
広島市は85年以降、被爆した旧庁舎の前庭や塀に使われていた石の一部を保存。自治体や地方公共団体が、平和祈念のための石碑や平和教育・平和学習の教材として活用する場合に譲ってきた。
現在までに深川市をはじめ国内91カ所、海外ではロシアのボルゴグラード市や、今月日本被団協へのノーベル平和賞授賞式があったノルウェー・オスロ市など10カ所に届けられてきた。ここ10年余り譲渡はない。
(2024年12月23日朝刊掲載)
完成した碑は縦約150センチ、横約90センチの平たい形状で、その上に80センチ四方で厚さ約15センチ、重さ約80キロの被爆敷石が置かれている。「旧広島市役所前庭被爆敷石」と記された説明板が配され、野嶽さんが広島で拾った原爆瓦もあしらわれている。
野嶽さんは1983年夏、深川市で開いた「原爆資料展」の実行委員として、同市の小中高生を連れて広島を訪問。被爆者から体験を聞くなどして、原爆被害の実情に触れた。子どもたちと熱線の痕が残る原爆瓦も拾い、「物言わぬ証人」として、記憶を後世に伝える被爆遺物の重みを痛感したという。
その後3年間、映画関連の仕事をしながら、広島で生活。広島県朝鮮人被爆者協議会会長だった李実根(リシルグン)さん(2020年死去)たち多くの被爆者と親交を深めた。「被爆者の思いを伝えていきたいという思いが強くなった」と振り返る。
85年、広島市の旧庁舎が解体されることを知った野嶽さんは、当時の荒木武市長に被爆建物である旧庁舎の保存を求める手紙を出した。しかし老朽化で解体は避けられない。諦め切れない野嶽さんは「建物を残すのが無理ならせめて廃材をください」と再び手紙を書いた。しばらくして広島市から返事があり、被爆敷石を譲り受けた野嶽さんは、地元深川市に「非核を願う記念碑をつくって」と寄贈した。
深川市は広く市民の目に触れるようにと、市役所1階ロビーに「原爆被爆の石」として展示してきた。だが記念碑建立を訴え続ける野嶽さんの熱い思いを聞き、深川市庁舎の建て替えに伴う前庭整備に合わせ、碑の建立を決めた。同市総務課によると11月中旬に設置。今は雪に埋もれており、来年8月6日、同市が毎年開く「非核平和都市宣言記念式」で市民に周知する方針だ。
野嶽さんは日本被団協のノーベル平和賞受賞にも触れ、「被爆者の思いを受け継いだ僕たちがまたこの先の人たちに継いでいかなくては」と力を込める。「歳月とともに被爆者がいなくなっても、この碑があれば記憶を受け止めてもらえる」と期待する。
広島市は85年以降、被爆した旧庁舎の前庭や塀に使われていた石の一部を保存。自治体や地方公共団体が、平和祈念のための石碑や平和教育・平和学習の教材として活用する場合に譲ってきた。
現在までに深川市をはじめ国内91カ所、海外ではロシアのボルゴグラード市や、今月日本被団協へのノーベル平和賞授賞式があったノルウェー・オスロ市など10カ所に届けられてきた。ここ10年余り譲渡はない。
(2024年12月23日朝刊掲載)