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連載・特集

世界のヒバクシャと連帯、行動を 国際シンポ詳報 パネル討論

核使用の歴史 責任問う/学び・知り 自分ごとに…

 広島市立大広島平和研究所(平和研)と中国新聞社、長崎大核兵器廃絶研究センター(RECNA)の主催で11月30日に開かれた国際シンポジウム「グローバルに核被害をとらえ直す―いま改めて『ノーモア・ヒバクシャ』」では、平和研の梅原季哉教授を司会に登壇者がパネル討論。ロバート・ジェイコブズ平和研教授、映画監督の伊東英朗氏、「核政策を知りたい広島若者有権者の会」(カクワカ広島)の瀬戸麻由氏、RECNAの鈴木達治郎教授と中国新聞社の森田裕美記者が会場からの質問に答えながら討論した。(小林可奈)

  ―「核抑止」は空疎な概念だが、今はその「抑止」が崩れて核兵器が使われる危機にある。被爆地と世界のヒバクシャが団結し、できることは。
 ジェイコブズ 核保有国は規範や倫理に従おうとしない。それでも人間への被害や環境汚染に対し責任を追及するため力を合わせるべきだ。過去の暴力を明確にし、非難するほど核保有は正当化し得なくなる。

  ―米国内の核実験被害の実態を追ったドキュメンタリー映画「サイレント・フォールアウト」を米国で上映した際の反応を聞きたい。
 伊東 参加者は、核問題への関心は高いが自らが(核実験による放射性降下物などの)被害当事者だとは思っていない人たち。だから現実を知ると真剣で、当事者意識がある。今後は核兵器や原発を推進する側にも見てもらいたい。淡々と事実を伝え「これをどう捉えるか」と問うなら対話できるのではないか。

  ―核兵器の脅威を、核弾頭数だけでなく伝える方法はあるか。
 森田 核の脅威は数だけで表せない。私はいつも、中国新聞社論説主幹だった金井利博さんの言葉「原爆は威力として知られたか、人間的悲惨として知られたか」を胸に取材している。人間の視点から脅威とは何か考え、報じていく。

  ―科学と軍需産業の資金源を切り離していくことは可能か。
 鈴木 戦後、日本は平和憲法をつくり、日本学術会議は軍事目的の研究には参加しないと宣言してきた。科学者は戦争になると「お国のため」と軍事に参加するようになる。戦争をしないのが一番。私たちは平和憲法や、憲法に基づいた科学研究を守らなければならない。

  ―ヒバクシャの問題をより多くの若者に自分ごとと捉えてもらうには。
 瀬戸 大学生の時は「皆に興味を持ってもらわなければ」と活動していた。今は、関心を抱いた人が孤独にならず「自分にできることがある」と思ってくれることが大事だと思っている。気候変動など多様な分野の活動家が集う機会は増えている。「あなたが取り組む問題ともつながっているね」というものを育みたい。

  ―広島と長崎からグローバル・ヒバクシャとの共通項に目を向け、自らを外に開いていくことが重要だろう。そのために私たちにできることは。
 伊東 米国で最初に行動したのは、子を持つ母だった。核兵器を持つ、持たない以前に、全ては命と健康。国対国ではなく人間と人間の問題として考えるべきだ。

 瀬戸 来年3月に予定される核兵器禁止条約の第3回締約国会議に注目している。核被害者救済の国際的仕組みを作っていく中で、広島の体験が条約の強化に生かされるよう、どう参加できるか模索したい。

 鈴木 当事者意識を持ち、被災者や被爆者の「人間性」を忘れないこと。(科学者の平和団体パグウォッシュ会議創設の基となった1955年の)ラッセル・アインシュタイン宣言がうたう「人間性を心にとどめよ、そして他のすべてを忘れよ」が原点だ。

 森田 弱い人々の犠牲の上に核開発が成り立っている植民地主義、構造的暴力の問題に目を向ける必要がある。また過去への反省や責任を忘れては、同じ過ちが繰り返される。歴史から学び、知ることが大事だ。

 ジェイコブズ 英国のノーベル文学賞作家故ドリス・レッシングの言葉を引用したい。アパルトヘイト下の旧南ローデシア(現ジンバブエ)育ち。英植民地主義の暴力性は、対峙(たいじ)するには巨大過ぎると思えたが、時と共に状況は変化した。一人一人の意志と行動の蓄積こそ変化を可能にする、と。私たちには力がある。グローバルな社会で支え合い、正義と公正に基づいた、環境に優しい世界のため取り組まなければならない。

(2024年12月23日朝刊掲載)

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