広島ゆかり 演劇人の息遣い 東京で「築地小劇場100年」企画展
24年12月21日
小山内薫・杉村春子・小山祐士・丸山定夫 試行錯誤 新劇の歩みたどる
関東大震災翌年の1924(大正13)年、広島市出身の劇作家小山内薫(1881~1928年)を軸に東京・築地に築地小劇場が誕生した。新劇のうねりを育む「実験室」として日本演劇史に刻んだ足跡をたどる企画展「築地小劇場100年 新劇の20世紀」が、東京都新宿区の早稲田大演劇博物館で開かれている。広島ゆかりの演劇人たちが注いだ情熱や、激動する時代の息遣いを味わえる。(渡辺敬子)
企画展は、最先端の文化発信拠点として演劇の理想を掲げた「築地小劇場の時代」を中心に、西欧から近代劇が導入された明治末期から現代に至る日本演劇史をたどる構成。小山内が愛用したパイプ、原稿や舞台写真、斬新なデザインのポスターや雑誌、売り上げの記録など約300点が並ぶ。新しい文化と価値観に触れた人々の高揚感まで伝わるようだ。
劇場は定員468人で最新の照明や音響を備えた。「40代だった小山内は、20、30代の若い人材を育てる指導的立場にあった」と企画展を担当した同館助手の熊谷知子さん。より大きな劇場へ彼らを紹介するなど活動を広げ、その後の演劇界を支える才能を輩出した。
築地小劇場には同名の専属劇団があり、地方公演にも積極的だった。広島市出身の杉村春子(1906~97年)は26年9月と27年1月、現在の中区小網町にあった寿座での観劇をきっかけに俳優を志し、劇団に加わる。企画展には、代表作「女の一生」の衣装や、福山市出身の劇作家小山祐士(06~82年)と杉村の対談集「女優の一生」が並ぶ。
広島が拠点の「青い鳥歌劇団」で初舞台を踏み、移動演劇「桜隊」を率いて広島で被爆死した丸山定夫(01~45年)は築地小劇場の初代メンバーだ。召集されたため桜隊に参加できなかった酒井哲に宛てた45年7月11日付の手紙には、仲間への信頼と友情がにじむ。
小山内の死後、劇団は分裂。足かけ6年の活動で、建物も東京大空襲で焼失した。しかし志は受け継がれた。熊谷さんは「さまざまな試行錯誤が連綿とつながり、日本演劇界の層を厚くしていった歴史が分かる。現物から演劇人の情熱に触れてほしい」と語る。
1月19日まで。12月26日~1月5日、15日は休館。無料。展示内容の紹介や築地小劇場の公演記録、研究者の寄稿を収めた書籍の販売もしている。同博物館☎03(5286)1829。
(2024年12月21日朝刊掲載)