『潮流』 湛山に倣え
24年12月21日
■論説主幹 山中和久
68年前のきのう首相に指名された石橋湛山(たんざん)は、専ら短命政権として知られる。でも、その思想を再評価する動きが政界で広がっているという。
戦前は東洋経済新報の記者として軍拡や植民地主義を批判した反骨の言論人。戦後政界に転じ、1956年に自民党総裁選の決選投票で岸信介氏に逆転勝利して首相に就任した。だが病に倒れ、65日間で退いた。
没後50年の昨年6月、湛山に共鳴する議員が超党派の勉強会を発足させた。石破茂首相もメンバーだ。少数与党で迎えた臨時国会の所信表明演説でも湛山の言葉を引用。野党の意見を取り入れる姿勢を示し注目された。
有名なのが1921年の社説「一切を棄(す)つるの覚悟」「大日本主義の幻想」での主張である。台湾や朝鮮半島などの植民地を放棄せよ、貿易立国の道が国益にも世界平和にもかなう―と唱えた。石破氏も著書で今に通じる重要な示唆と捉える。
時代は冷戦から米中対立へ移り、ロシアは核の脅しを伴いウクライナに侵攻。国際秩序は混迷する。そんな中で、日本は安全保障で米国への依存を強め、外交の選択肢は狭まる一方だった。
年明けには「米国第一」を掲げるトランプ氏が米大統領に返り咲く。「米国と提携するが、向米一辺倒にはならない」と自主外交を主張した湛山の視座から日本の針路を考えたい。対立ではなく、対話と協調を旨とする構想が求められよう。
日本被団協のノーベル平和賞受賞は、核抑止力を重視する被爆国の姿勢を問うた。石破氏はまず、来年3月にニューヨークである核兵器禁止条約の締約国会議への参加を決断すべきだ。湛山の思想と重ね合わせれば、おのずと道は決まる。
(2024年12月21日朝刊掲載)
68年前のきのう首相に指名された石橋湛山(たんざん)は、専ら短命政権として知られる。でも、その思想を再評価する動きが政界で広がっているという。
戦前は東洋経済新報の記者として軍拡や植民地主義を批判した反骨の言論人。戦後政界に転じ、1956年に自民党総裁選の決選投票で岸信介氏に逆転勝利して首相に就任した。だが病に倒れ、65日間で退いた。
没後50年の昨年6月、湛山に共鳴する議員が超党派の勉強会を発足させた。石破茂首相もメンバーだ。少数与党で迎えた臨時国会の所信表明演説でも湛山の言葉を引用。野党の意見を取り入れる姿勢を示し注目された。
有名なのが1921年の社説「一切を棄(す)つるの覚悟」「大日本主義の幻想」での主張である。台湾や朝鮮半島などの植民地を放棄せよ、貿易立国の道が国益にも世界平和にもかなう―と唱えた。石破氏も著書で今に通じる重要な示唆と捉える。
時代は冷戦から米中対立へ移り、ロシアは核の脅しを伴いウクライナに侵攻。国際秩序は混迷する。そんな中で、日本は安全保障で米国への依存を強め、外交の選択肢は狭まる一方だった。
年明けには「米国第一」を掲げるトランプ氏が米大統領に返り咲く。「米国と提携するが、向米一辺倒にはならない」と自主外交を主張した湛山の視座から日本の針路を考えたい。対立ではなく、対話と協調を旨とする構想が求められよう。
日本被団協のノーベル平和賞受賞は、核抑止力を重視する被爆国の姿勢を問うた。石破氏はまず、来年3月にニューヨークである核兵器禁止条約の締約国会議への参加を決断すべきだ。湛山の思想と重ね合わせれば、おのずと道は決まる。
(2024年12月21日朝刊掲載)