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社説・コラム

『潮流』 被団協が問う「国」の共犯

■ヒロシマ平和メディアセンター長 金崎由美

 初めて原爆報道を担当したのは、東京支社に赴任した2006年だった。日本被団協が主導した「原爆症認定集団訴訟」の地裁判決が大阪などで出始めていた時期。被爆者が国を相手に裁判で苦闘する中、被団協は一貫して「原爆被害への国家補償を趣旨とする被爆者援護」を訴えた。

 田中熙巳(てるみ)代表委員は当時、事務局長。ある日の記者会見後、他紙の記者が新参者である私の素朴な疑問を代弁するような質問をした。「米国には責任を問わないのか」

 田中さんは日本被団協が1984年に策定した「原爆被害者の基本要求」の文言を引用しながら説明してくれた。日本政府は52年の独立時に対米請求権を放棄したが、被団協は米国に対し、原爆投下を国際法違反だと認めて謝罪するよう求めている。命の犠牲を含めた市民の被害に、補償せず我慢を強いることはどの国でも許されない―。

 先日、ノーベル平和賞の受賞演説で田中さんは「国家補償」の欠落への怒りを口にした。日米、そして戦争を遂行する全ての国家権力が負う過去と現在の責任を問うた。

 ノルウェーで授賞式と関連行事があった10~12日、東京では「日米拡大抑止協議」が開かれた。日米の外務、防衛両省と米軍、自衛隊の担当者が外務省に集い、「核」を含む抑止力の強化を平然と議論したのだった。

 怒りに震え、思う。核抑止を保持するというのなら、核使用がもたらす無差別被害にどう責任を取るのかも、セットで協議すべきだと。「国家補償」を「廃絶」との両輪とする被団協の訴えは、核兵器を温存したい側にとって何より都合が悪いはず。これも私たちが継承すべき「被爆者の願い」ではないだろうか。

(2024年12月26日朝刊掲載)

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