[歩く 聞く 考える] 昭和100年 歌は世につれ 時代映すメロディー これからも 日本大商学部教授 刑部芳則さん
25年1月1日
ことしは昭和の始まりから100年の節目にあたる。激動の時代を振り返ると「歌は世につれ」の言葉通り、私たちのそばにはいつも世相を映す歌があった。このところ、テレビで昭和の歌を懐かしむ特集番組が目立つ。昭和歌謡がブームで現代の若いZ世代も見直しているという。人々は何を思い、口ずさんできたのか。「昭和歌謡史」の近著がある日本大商学部教授の刑部芳則さんに昭和の歌と社会の移り変わりをたどってもらった。(論説委員・田原直樹、写真・山崎亮)
―著書の副題は「古賀政男、東海林太郎から、美空ひばり、中森明菜まで」です。悲喜こもごもだった昭和が歌手名からも浮かびます。
さまざまな歌声が各年代を彩りました。とりわけ昭和の歌は「時代を映す鏡」です。
というのも、レコード量産が始まったのが昭和の初め。日本に外資系レコード会社が進出しました。街では蓄音機やラジオからレコード音楽が流れ、人々が買い求め、ヒット曲が生まれました。
―どんな音楽でしたか。
古賀政男や古関裕而といった作曲家が登場します。昭和恐慌の中、人気を集めたのが「酒は涙か溜息(ためいき)か」など哀愁の古賀メロディーです。
昭和10年代は日中戦争の影響で戦地の兵士と銃後の家族の絆を描く歌や、映画主題歌などが流行。しかし太平洋戦争に突入後、大衆が好む哀愁のある流行歌は時局にふさわしくない、とされます。国策的な明るい歌が増えますが、ヒット曲は出なくなります。
―明るい歌の方が禁じられそうですが。
逆でした。国に尽くさせ、戦局を打破するために、活力の湧く明るい曲が奨励されました。でも短調のメロディーを大衆は好み、以前の流行歌を歌う者が多い。けしからんと訴える新聞投書もありましたが「いい歌がないからだ」と反論が寄せられました。
―敗戦で占領下となって、歌も大きく変わります。
敵性音楽だったものが一気に流入。豊かな米国への憧れから洋楽調が得意な服部良一の曲が流行し、笠置シヅ子らが花開きます。
高度成長期の昭和30年代は歌手や作曲家の新旧交代が進みます。ムード歌謡や職業歌謡、金の卵たちが聴いた望郷歌謡などが流行します。でも歌が時代を色濃く映したのもこの頃までです。
―歌謡曲は昭和40年代から全盛期を迎えるのでは。
多様化が進みます。グループサウンズのほかアイドルが登場してくる。後半にはフォークやニューミュージック、演歌も。昭和50年代後半以降は、シティーポップと呼ばれるキラキラしたサウンドが登場します。世代ごとに音楽の好みが分かれていきます。
―国民的ヒット曲が少なくなりますね。
50年代半ばまで、テレビは一家に1台でした。茶の間で祖父母や孫が同じ番組を見て皆が歌える歌があった。それが一部屋に1台へ。各世代が違う番組を見て、違う歌を聴く時代になるのです。
平成に移る頃、レコードはCDに変わり、J―POPが登場し、歌謡曲を消し去ってしまいました。
―生活の変化やJ―POPが歌謡曲を衰退させた、と。
はい。歌謡曲は洋楽の要素を日本人好みの「味付け」で取り入れてきました。一方、J―POPは歌謡曲が持つ日本的な要素を排除し、洋楽を意識して作られています。
高校生の頃に友人たちはJ―POPに飛びつきますが、歌謡曲が好きだった私には速くて歌えない。何を歌っているのか分かりませんでした。
―歌詞も違いますか。
歌謡曲は先に歌詞があり、生かすように曲を付けた。言葉の数は少なく、情景を聴く人に想像させました。でもJ―POPはメロディーに合わせ、言葉を埋め込んだ曲と感じます。サウンド重視で、歌詞などなくてもいいような。
日本人が好む哀感もなく、ほとんど明るい曲です。
―音楽の好みや聴き方が変わったようですね。
かつて日本人は哀愁のあるメロディーを好み、ヒット曲も短調のものが多かった。落ち込んだ時、暗い曲を聴いて自分を慰めたわけです。
古賀メロディーは一人、酒場で後悔や感傷に浸って聞くのがマッチしますね。別れの曲の多い中島みゆきが、女性に人気なのは、失恋した時に同じ心情を聴くと、気持ちが楽になるからでしょう。
―でも昭和の歌はもう、今の若者には古いでしょうね。
いや、歌謡曲は起死回生の見込みがありますよ。最近は昭和歌謡ブームといわれ、若い世代にもその魅力が広がっているようです。
私は歴史学の講義で学生に戦前戦中のヒット曲を聴かせて社会背景などを教えています。どの歌手がよかったか、学生に尋ねると男性歌手はやはり藤山一郎ですが、女性では何と、芸者歌手の美(み)ち奴(やっこ)でした。昭和11年の「あゝそれなのに」が大ヒットしますが、今は知る人は少なくなりました。なのに学生は「声がいい」「テンポが心地よい」と言います。関心を広げ、自分で古い歌を調べたり、レコードを買ったりする学生もいます。捨てたものじゃありません。
―90年も前の歌を、気に入るとは驚きですね。
知る機会がなかっただけで聴けば、「これ、いいな」と新鮮に感じ、引かれる若者もいるのです。
今の昭和歌謡ブームは昭和40年代、50年代の歌が中心のよう。でも昭和歌謡をさかのぼって取り上げるテレビ番組があれば、古賀メロディーや芸者歌手まで好きになる若い世代も出てくるでしょう。
―昭和歌謡は人々の心を捉え、聴かれるでしょうか。
そう思います。明るい曲を聴いてきたZ世代。でも昭和歌謡に触れる機会があれば、元々備え持つ日本人の好み、音楽センスが目覚めるはず。世代を超えて通じるものを、昭和歌謡は持っています。
おさかべ・よしのり
1977年東京都生まれ。中央大大学院博士後期課程修了。中央大文学部講師などを経て、2022年から現職。専門は日本近代史。NHK朝の連続テレビ小説「エール」「ブギウギ」で風俗考証、「虎に翼」では制服考証を担当。著書に「洋服・散髪・脱刀」「古関裕而」「セーラー服の誕生」「洋装の日本史」など。東海林太郎音楽館学術顧問。
(2025年1月1日朝刊掲載)
―著書の副題は「古賀政男、東海林太郎から、美空ひばり、中森明菜まで」です。悲喜こもごもだった昭和が歌手名からも浮かびます。
さまざまな歌声が各年代を彩りました。とりわけ昭和の歌は「時代を映す鏡」です。
というのも、レコード量産が始まったのが昭和の初め。日本に外資系レコード会社が進出しました。街では蓄音機やラジオからレコード音楽が流れ、人々が買い求め、ヒット曲が生まれました。
―どんな音楽でしたか。
古賀政男や古関裕而といった作曲家が登場します。昭和恐慌の中、人気を集めたのが「酒は涙か溜息(ためいき)か」など哀愁の古賀メロディーです。
昭和10年代は日中戦争の影響で戦地の兵士と銃後の家族の絆を描く歌や、映画主題歌などが流行。しかし太平洋戦争に突入後、大衆が好む哀愁のある流行歌は時局にふさわしくない、とされます。国策的な明るい歌が増えますが、ヒット曲は出なくなります。
―明るい歌の方が禁じられそうですが。
逆でした。国に尽くさせ、戦局を打破するために、活力の湧く明るい曲が奨励されました。でも短調のメロディーを大衆は好み、以前の流行歌を歌う者が多い。けしからんと訴える新聞投書もありましたが「いい歌がないからだ」と反論が寄せられました。
―敗戦で占領下となって、歌も大きく変わります。
敵性音楽だったものが一気に流入。豊かな米国への憧れから洋楽調が得意な服部良一の曲が流行し、笠置シヅ子らが花開きます。
高度成長期の昭和30年代は歌手や作曲家の新旧交代が進みます。ムード歌謡や職業歌謡、金の卵たちが聴いた望郷歌謡などが流行します。でも歌が時代を色濃く映したのもこの頃までです。
―歌謡曲は昭和40年代から全盛期を迎えるのでは。
多様化が進みます。グループサウンズのほかアイドルが登場してくる。後半にはフォークやニューミュージック、演歌も。昭和50年代後半以降は、シティーポップと呼ばれるキラキラしたサウンドが登場します。世代ごとに音楽の好みが分かれていきます。
―国民的ヒット曲が少なくなりますね。
50年代半ばまで、テレビは一家に1台でした。茶の間で祖父母や孫が同じ番組を見て皆が歌える歌があった。それが一部屋に1台へ。各世代が違う番組を見て、違う歌を聴く時代になるのです。
平成に移る頃、レコードはCDに変わり、J―POPが登場し、歌謡曲を消し去ってしまいました。
―生活の変化やJ―POPが歌謡曲を衰退させた、と。
はい。歌謡曲は洋楽の要素を日本人好みの「味付け」で取り入れてきました。一方、J―POPは歌謡曲が持つ日本的な要素を排除し、洋楽を意識して作られています。
高校生の頃に友人たちはJ―POPに飛びつきますが、歌謡曲が好きだった私には速くて歌えない。何を歌っているのか分かりませんでした。
―歌詞も違いますか。
歌謡曲は先に歌詞があり、生かすように曲を付けた。言葉の数は少なく、情景を聴く人に想像させました。でもJ―POPはメロディーに合わせ、言葉を埋め込んだ曲と感じます。サウンド重視で、歌詞などなくてもいいような。
日本人が好む哀感もなく、ほとんど明るい曲です。
―音楽の好みや聴き方が変わったようですね。
かつて日本人は哀愁のあるメロディーを好み、ヒット曲も短調のものが多かった。落ち込んだ時、暗い曲を聴いて自分を慰めたわけです。
古賀メロディーは一人、酒場で後悔や感傷に浸って聞くのがマッチしますね。別れの曲の多い中島みゆきが、女性に人気なのは、失恋した時に同じ心情を聴くと、気持ちが楽になるからでしょう。
―でも昭和の歌はもう、今の若者には古いでしょうね。
いや、歌謡曲は起死回生の見込みがありますよ。最近は昭和歌謡ブームといわれ、若い世代にもその魅力が広がっているようです。
私は歴史学の講義で学生に戦前戦中のヒット曲を聴かせて社会背景などを教えています。どの歌手がよかったか、学生に尋ねると男性歌手はやはり藤山一郎ですが、女性では何と、芸者歌手の美(み)ち奴(やっこ)でした。昭和11年の「あゝそれなのに」が大ヒットしますが、今は知る人は少なくなりました。なのに学生は「声がいい」「テンポが心地よい」と言います。関心を広げ、自分で古い歌を調べたり、レコードを買ったりする学生もいます。捨てたものじゃありません。
―90年も前の歌を、気に入るとは驚きですね。
知る機会がなかっただけで聴けば、「これ、いいな」と新鮮に感じ、引かれる若者もいるのです。
今の昭和歌謡ブームは昭和40年代、50年代の歌が中心のよう。でも昭和歌謡をさかのぼって取り上げるテレビ番組があれば、古賀メロディーや芸者歌手まで好きになる若い世代も出てくるでしょう。
―昭和歌謡は人々の心を捉え、聴かれるでしょうか。
そう思います。明るい曲を聴いてきたZ世代。でも昭和歌謡に触れる機会があれば、元々備え持つ日本人の好み、音楽センスが目覚めるはず。世代を超えて通じるものを、昭和歌謡は持っています。
おさかべ・よしのり
1977年東京都生まれ。中央大大学院博士後期課程修了。中央大文学部講師などを経て、2022年から現職。専門は日本近代史。NHK朝の連続テレビ小説「エール」「ブギウギ」で風俗考証、「虎に翼」では制服考証を担当。著書に「洋服・散髪・脱刀」「古関裕而」「セーラー服の誕生」「洋装の日本史」など。東海林太郎音楽館学術顧問。
(2025年1月1日朝刊掲載)