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社説・コラム

寄稿 大阪で被爆ピアノコンサート 能登原由美 日常の尊さ・もろさ 両面を映す 音楽とダンス 大学生が企画

 被爆ピアノとグランド・ピアノが舞台に並ぶ。いずれも元は同じ「楽器」だが、前者は原爆を受けたためにそう呼ばれ、意味付けられたもの。後者は「偶然被爆していない日常」。そう語るのは、大阪音楽大ミュージックコミュニケーション専攻の学生たち。大阪の豊中市立文化芸術センターで11日に行われた公演からは、80年前の戦争と向き合う現代の若者の思いが伝わってきた。

 開演前、企画した学生から話を聞いた。きっかけは、広島出身の学生が投げかけた一言。自らが受けてきた平和学習が他県ではなされていない。原爆についての認識に大きなギャップがあるのではないか。そこから「平和」をテーマとすることに。とはいえ、運営メンバーは1人を除いて全員関西の出身。被爆地で育ったわけでもなく、戦争について何も知らないわれわれがやっても良いのか。疑問がくすぶり続けた。

 まずは自分たちが学ぶことから始めた。原爆のことだけではない。大学のある豊中市の空襲被害については、資料館に行き語り部から話を聞いた。さらに同市が沖縄市と「兄弟都市提携」を結んでいたこと、今回出演したピアニストの新崎洋実さんが沖縄出身だったこともあり、沖縄戦についても向き合った。

 だが、コンサートでは「戦争」や「平和」などの言葉をできる限りそぎ落とした。特定の意識に導くのではなく、自由に受け取ってほしいためだ。古典から現代、沖縄民謡に坂本龍一の作品など、ピアニストと一緒に選んだ演目は17曲になったが、そこにも「反戦」などを直接的に暗示させるものは入れなかった。逆にダンスという身体表現を入れることで、受け手の想像力を駆り立てる内容とした。

 公演のタイトルは「羊は安らかに草を食み」。J・S・バッハの楽曲に由来するものだが、8カ月にわたりこの主題に対峙(たいじ)してきた上での答えは、まさにここにあった。つまり、草を食(は)むという日々の営み。これが平和だということ。ただし、その日常はもろく危うい。2台のピアノを対置させたのは、それを示すためでもあった。過去と現在、あるいは未来と受けとめてもよいのだという。

 音質の全く異なる2台のピアノが醸し出す音に、ダンサーの北村成美さんが全身で反応する。振り付けは彼女に委ねたというが、若者たちの思いはしっかりと伝わったのだろう。筆者には、人間や動物も含めたあらゆる生命の根源を表すように思えた。

 彼らにとって戦争は、祖父母の世代、あるいはそれ以前に起きたもの。その過酷な経験について、「知り切れないということを改めて知った」と語る。けれども日常の尊さともろさを映し出したこの舞台を見る限り、それぞれの感性でしっかりと受け止めていることは確かだと感じる。ぜひ再演へとつなげてほしい。(大阪音楽大特任准教授=広島市出身)

(2024年12月28日朝刊掲載)

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