×

ニュース

[ヒロシマドキュメント 1946年] 1月ごろ 廃虚の本通り 映像で記録

 1946年1月ごろ。吉岡信一さん(66年に71歳で死去)は、原爆で廃虚と化していた広島市の本通り商店街(現中区)を8ミリフィルムで撮影した。自宅兼店舗を構え、被爆前から定点的に映像でかいわいの光景を記録していた。

 焼失した自宅付近や鉄製の風呂跡が写る。かろうじて外形が残った下村時計店や大林組広島支店、がれきをかき分ける人の姿も。通り北側の西練兵場からの撮影では、中国新聞社や福屋百貨店の外観を確認できる。焦土に立つ学生帽をかぶった長男の宏夫さん(2019年に93歳で死去)の姿もある。

 吉岡さんは、今の本通電停東側に当たる革屋町で服地店「吉屋ネル店」を営んでいた。いち早く8ミリカメラや映写機を入手し、37年ごろから撮り始めた。

 「胡子大祭」の大売り出し、三井銀行広島支店(現広島アンデルセン)前で体操する子ども、防空演習でバケツリレーする住民…。折々に街の営みを捉えていたが、撮影は太平洋戦争開戦とともに途絶えた。

 45年8月6日、郊外の親戚宅にいた吉岡さんは無事だったが、妻や従業員を亡くした。戦前のフィルムは倉橋島(現呉市)の親戚宅に移していたという。愛知県豊橋市の陸軍予備士官学校に在学していた宏夫さんが広島に戻った際に、機材を携えて本通りに向かった。

 宏夫さんは、被爆前後のフィルムを保管していたが、09年に市公文書館に寄贈した。「少しでもいいから、今の人たちに当時を知ってもらいたい」と願っていた。(山下美波)

(2025年1月7日朝刊掲載)

年別アーカイブ