広島のシリア人 「ようやく自由」 アサド政権崩壊1ヵ月 弾圧・内戦の傷深く 国土再建誓う
25年1月9日
中東シリアで半世紀以上続いたアサド父子の独裁政権の崩壊から、8日で1カ月がたった。広島県内に住む同国出身者の中には、虐殺や拷問により家族を奪われた人たちもいる。「ようやく自由を取り戻せた」と喜びをかみしめながらも、母国が経るであろう再建までの苦難に思いを巡らせている。(小林可奈)
旧反体制派のシンボルである三つ星を配した旗を掲げた広間に、アラビア語の語らいと笑い声が響いた。4日、首都ダマスカス出身のアブドゥーラ・バセムさん(57)=廿日市市=が経営する建築会社事務所に県内在住の約40人が集まり、共に歓喜した。
弾圧を恐れ、在日シリア人の多くは「本音」を言えずに暮らしてきたという。「国として死んだも同然だったシリアが戻ってきた」。アブドゥーラさんは九州大大学院に留学するため1995年に来日。最後に帰国できたのは15年前だった。政権崩壊直後の昨年12月末に父が他界し、母国での再会はかなわなかった。
70年代から続く独裁政権は、2011年に中東の民主化運動「アラブの春」で広がった反政府デモを徹底弾圧。反体制派との内戦に至った。アサド政権軍はロシア軍とともに反体制派地域へ空爆を重ねた上、化学兵器の使用を国際社会から非難された。治安当局に不当に拘束され、行方不明になったり殺されたりする人は後を絶たなかった。内戦の犠牲者は40万人以上といわれる。
出入国在留管理庁の統計によると、24年6月末時点で県内に暮らすシリア人は96人。会社員ハムダンさん(38)=東広島市=は弟2人が拘束、殺害された。会社経営アルガザウィさん(37)=同=の弟は、おびただしい数の市民が拷問されたダマスカス近郊のセドナヤ刑務所に収監され「母が面会した時、自分の息子と分からないほどやせ細っていた」。その後消息は途絶え、昨年12月の政権崩壊直後に死を知らされた。
内戦によって国土は疲弊し、内政も安定からほど遠い。長年にわたる最悪の非人道状況を経て、国民が心と体に負った傷は深い。「喜びで終わらず、これからを考えなければ」とアブドゥーラさん。「広島で培ったネットワークを生かし、シリアのため行動したい」。被爆地も国土再建と復興の支えになってくれることを願う。
(2025年1月9日朝刊掲載)
旧反体制派のシンボルである三つ星を配した旗を掲げた広間に、アラビア語の語らいと笑い声が響いた。4日、首都ダマスカス出身のアブドゥーラ・バセムさん(57)=廿日市市=が経営する建築会社事務所に県内在住の約40人が集まり、共に歓喜した。
弾圧を恐れ、在日シリア人の多くは「本音」を言えずに暮らしてきたという。「国として死んだも同然だったシリアが戻ってきた」。アブドゥーラさんは九州大大学院に留学するため1995年に来日。最後に帰国できたのは15年前だった。政権崩壊直後の昨年12月末に父が他界し、母国での再会はかなわなかった。
70年代から続く独裁政権は、2011年に中東の民主化運動「アラブの春」で広がった反政府デモを徹底弾圧。反体制派との内戦に至った。アサド政権軍はロシア軍とともに反体制派地域へ空爆を重ねた上、化学兵器の使用を国際社会から非難された。治安当局に不当に拘束され、行方不明になったり殺されたりする人は後を絶たなかった。内戦の犠牲者は40万人以上といわれる。
出入国在留管理庁の統計によると、24年6月末時点で県内に暮らすシリア人は96人。会社員ハムダンさん(38)=東広島市=は弟2人が拘束、殺害された。会社経営アルガザウィさん(37)=同=の弟は、おびただしい数の市民が拷問されたダマスカス近郊のセドナヤ刑務所に収監され「母が面会した時、自分の息子と分からないほどやせ細っていた」。その後消息は途絶え、昨年12月の政権崩壊直後に死を知らされた。
内戦によって国土は疲弊し、内政も安定からほど遠い。長年にわたる最悪の非人道状況を経て、国民が心と体に負った傷は深い。「喜びで終わらず、これからを考えなければ」とアブドゥーラさん。「広島で培ったネットワークを生かし、シリアのため行動したい」。被爆地も国土再建と復興の支えになってくれることを願う。
(2025年1月9日朝刊掲載)