緑地帯 武谷田鶴子 私は被爆者①
25年1月9日
私は女学校4年生、16歳の時に被爆した。1945年8月6日朝、空襲警報が解除になり、私は動員先の職場へ向かった。道を歩いていると後方から「おい、B29の爆音が聞こえるぞ」と男子学生の声が聞こえた。青く晴れ渡った空を見上げると、鮮やかな色に輝く球体が回転しながら舞い落ちていた。
7メートル吹き飛ばされ、気絶した。意識が戻った時、辺りは真っ暗。やがて下方に白い光が見え、グワッと光は増幅し、光の中、私は柱がニョキッとむき出しの家、ボロボロの姿でうごめく人々を見た。
私は自分の姿を見た。朝着たはずの学生服もモンペもない。パンツがグシャリと張り付いているだけ。前方からたくさんの裸の女性がやって来た。みんな両腕を上げ、ゆらゆらと歩く。少女が「助けて」と私に言った。親友の裕子だ。「連れて逃げて」と言った。私も裸。迷っていると裕子の姿はなかった。
家に帰り着く。母が玄関の前に立っていた。私はそのまま倒れ、体が硬直していった。
数日後、医師が来て私をのぞき込み「明日死にます」と言った。まだ死にたくなかった。眠れるよう、医師が注射を打った。
心地よい音楽が聞こえ、きれいに花で飾られた電車がやって来た。裕子が乗っていた。私が乗せてと手を伸ばすと、弟の隆が、乗っちゃあいけんと払いのけた。死の誘いから助けてくれた。(たけや・たずこ 第56回中国短編文学賞入賞者=広島市)
(2025年1月9日朝刊掲載)
7メートル吹き飛ばされ、気絶した。意識が戻った時、辺りは真っ暗。やがて下方に白い光が見え、グワッと光は増幅し、光の中、私は柱がニョキッとむき出しの家、ボロボロの姿でうごめく人々を見た。
私は自分の姿を見た。朝着たはずの学生服もモンペもない。パンツがグシャリと張り付いているだけ。前方からたくさんの裸の女性がやって来た。みんな両腕を上げ、ゆらゆらと歩く。少女が「助けて」と私に言った。親友の裕子だ。「連れて逃げて」と言った。私も裸。迷っていると裕子の姿はなかった。
家に帰り着く。母が玄関の前に立っていた。私はそのまま倒れ、体が硬直していった。
数日後、医師が来て私をのぞき込み「明日死にます」と言った。まだ死にたくなかった。眠れるよう、医師が注射を打った。
心地よい音楽が聞こえ、きれいに花で飾られた電車がやって来た。裕子が乗っていた。私が乗せてと手を伸ばすと、弟の隆が、乗っちゃあいけんと払いのけた。死の誘いから助けてくれた。(たけや・たずこ 第56回中国短編文学賞入賞者=広島市)
(2025年1月9日朝刊掲載)