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連載・特集

緑地帯 武谷田鶴子 私は被爆者③

 私はアメリカで手術を受けることになった。1955年。曲がった腕、甲へ引っ張られた指、焼けた左頰も、きっときれいになるだろう。

 ビルディングのそびえ立つニューヨークの光景に、異次元の世界かと驚き、夜のまぶしい煌(きら)めきをただ啞然(あぜん)と眺めた。

 滞在先は1カ月ごとに変わり、最初に滞在したのは銀行家の家。山に立つ鉄筋2階建て。背の高いアメリカ人がゴルフを教えてくれた。

 次は州の議員の家。日曜日の昼、一緒にサンドイッチを作る。妻のリキシーが私を抱き寄せ、キスをした。リキシーは私に、社会に役立つ人になれと、女性の会合に連れて行った。車の運転も教え、バックはぶつけて停(と)めたらよい、と言った。

 次はアコーディオンカーテンの発明者ジョンの家。真っ白い大きな家。「何をしてほしいか」と尋ねられた。美術館や博物館、アメリカの文化に触れたいと言うと、ボクもそういう所は好きだと言い、美しい妻のケイも一緒に、カーネギーホールへパブロ・カザルスのチェロコンサートに行き、メトロポリタンオペラハウスへは歌劇アイーダを観(み)に行った。

 次はチョコレート会社社長の一人娘ジィーンの家。私が理想とする自立した女性だ。彼女は早速、私を舞踏会のメンバーに入れた。華やかな世界、夢に見た凄(すご)い世界だ。母からエアメールがきた。父が亡くなったことを知らせる手紙だった。 (第56回中国短編文学賞入賞者=広島市)

(2025年1月14日朝刊掲載)

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