「被爆」描く88歳集大成 広島の藤登さん 6冊自費出版 学校などへ贈る
25年1月14日
アマチュア画家の藤登弘郎さん(88)=広島市安芸区=が被爆80年に向けて、被爆建物や被爆樹木を題材にした水彩画集の制作に取り組んでいる。20年余で約500枚を描き、画集6冊を自費出版。市内の学校や図書館にも寄贈してきた。今作を集大成にする。
爆風で鉄製の窓枠が曲がった旧陸軍被服支廠(ししょう)や、原爆ドーム。熱線の傷痕が残る樹木。淡い色彩の約120点を収録する。出版に向けて新たに描いた。2月ごろに出版し、市内の学校や原爆資料館へ寄贈したいという。
地場銀行を退職後の60歳ごろから趣味で水彩画を始めた藤登さん。2010年に「被爆建物」の画集を発刊して以降、被爆樹木、慰霊碑、被爆地蔵、旧陸軍被服支廠、原爆資料館の被爆資料、と出版を続けた。作品展も開いてきた。「私の絵を目にしたことで関心を抱き、現地に実際に足を運ぶ人が増えてほしい」との願いを込める。
1945年当時、藤登さんは9歳。呉市内にいた。原爆をテーマに描き続けるのは「原爆で多くの子どもたちが犠牲になった。自分も広島にいたら…。被害は人ごとではない」との思いからだ。被服支廠の存廃議論が活発化した2021年には保存を訴える被爆者らの声に共感し、さまざまな角度から建物を描いた。
体調不良から現地に足を運んでのスケッチが難しくなり、活動に区切りをつけることにした。日本被団協のノーベル平和賞受賞に励まされ、「心を込めて最終作を」と意気込む。(新山京子)
(2025年1月14日朝刊掲載)
爆風で鉄製の窓枠が曲がった旧陸軍被服支廠(ししょう)や、原爆ドーム。熱線の傷痕が残る樹木。淡い色彩の約120点を収録する。出版に向けて新たに描いた。2月ごろに出版し、市内の学校や原爆資料館へ寄贈したいという。
地場銀行を退職後の60歳ごろから趣味で水彩画を始めた藤登さん。2010年に「被爆建物」の画集を発刊して以降、被爆樹木、慰霊碑、被爆地蔵、旧陸軍被服支廠、原爆資料館の被爆資料、と出版を続けた。作品展も開いてきた。「私の絵を目にしたことで関心を抱き、現地に実際に足を運ぶ人が増えてほしい」との願いを込める。
1945年当時、藤登さんは9歳。呉市内にいた。原爆をテーマに描き続けるのは「原爆で多くの子どもたちが犠牲になった。自分も広島にいたら…。被害は人ごとではない」との思いからだ。被服支廠の存廃議論が活発化した2021年には保存を訴える被爆者らの声に共感し、さまざまな角度から建物を描いた。
体調不良から現地に足を運んでのスケッチが難しくなり、活動に区切りをつけることにした。日本被団協のノーベル平和賞受賞に励まされ、「心を込めて最終作を」と意気込む。(新山京子)
(2025年1月14日朝刊掲載)