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連載・特集

緑地帯 武谷田鶴子 私は被爆者④

 アメリカから帰国すると、メディアから電話がかかり、被爆体験を話してくださいと言ってきた。被爆から10年が過ぎ、占領下のプレス・コードで規制されてきた体験談も公に話せるようになっていた。

 だが、話すとしても、こんなつらい話をどう話せばいいの。アメリカでは傷痕を見ようとせず、タズコは美しい、といい気分にさせてくれたけど、広島のメディアはちょっと違う。傷痕を荒々しく画面に出そうとする。平和を訴えるためと言うが、気が重くなる。

 テレビのキャスターが電話をかけてきた。渡米治療に同行した先生のお手紙を頂いております、話してください、と言った。先生の手紙? どの先生なの? 私は困惑した。

 ある時、知人から、バスに乗って指定のバス停で下車してくださいと言われた。私は行かなかったが、一緒に渡米治療した友人の話では、テレビのロケ隊が先回りして来ていて、降りる場面から撮影された。モデルではない、と憤慨していた。

 どうもメディアは被爆者の体験で平和を語るのではなく、被爆者の醜い火傷(やけど)でもって平和を訴えようとしている。それは、おかしいのではと感じた。

 その後を振り返ってみて、私は生活に追われることなく生きてきた。恵まれていると思う。しかし、さまざまなねたみの感情も浴びてきた。明の部分と暗の部分があり、心がチリチリと痛む。 (第56回中国短編文学賞入賞者=広島市)

(2025年1月15日朝刊掲載)

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