緑地帯 武谷田鶴子 私は被爆者⑤
25年1月16日
渡米治療の時のホストファミリーの一人、ジィーンが電話をかけてきた。「タズコ、平和を訴えて。それを本にして出版してちょうだい」と言うと、電話は切れた。2001年のこと。
ちまたでは、ニューヨークのツインタワーが崩壊したのだから、気の強いアメリカ人は何かやるよ、と言っていた。平和を訴えるために、私の被爆体験を書こうと思った。
「1945年8月6日、8時15分、ヒロシマにゲンバクが落とされた。一瞬の閃光(せんこう)は、えつこに深い傷を残しました。」という書きだしの文章。『えつこ15歳のとき、8月6日・ヒロシマ』とタイトルを付け、英文を添えて出版した。ジィーンに送ったのに、何の返事もない。
やがてジィーンから電話があった。「タズコ、今、ビンヤード」と言うと電話は切れた。しばらくしてまた電話があった。「タズコ、今、メーン」と言うと電話は切れた。
ニュースでは当時(2003年)のブッシュ政権下、イラクへの攻撃が始まり、反対運動をする者は逮捕されている、と報じていた。ジィーンは逮捕されまいと、5軒あるセカンドハウスを逃げ回っているのだ。
アメリカの友人が電話をかけてきた。「イラク攻撃の真実はまるで放送されない。教会の牧師が話すから、みんな教会へ行って聞いたことを話し合うんだ」。私が知っているアメリカとは違う。アメリカって、時に「極端」に走るんだ。 (第56回中国短編文学賞入賞者=広島市)
(2025年1月16日朝刊掲載)
ちまたでは、ニューヨークのツインタワーが崩壊したのだから、気の強いアメリカ人は何かやるよ、と言っていた。平和を訴えるために、私の被爆体験を書こうと思った。
「1945年8月6日、8時15分、ヒロシマにゲンバクが落とされた。一瞬の閃光(せんこう)は、えつこに深い傷を残しました。」という書きだしの文章。『えつこ15歳のとき、8月6日・ヒロシマ』とタイトルを付け、英文を添えて出版した。ジィーンに送ったのに、何の返事もない。
やがてジィーンから電話があった。「タズコ、今、ビンヤード」と言うと電話は切れた。しばらくしてまた電話があった。「タズコ、今、メーン」と言うと電話は切れた。
ニュースでは当時(2003年)のブッシュ政権下、イラクへの攻撃が始まり、反対運動をする者は逮捕されている、と報じていた。ジィーンは逮捕されまいと、5軒あるセカンドハウスを逃げ回っているのだ。
アメリカの友人が電話をかけてきた。「イラク攻撃の真実はまるで放送されない。教会の牧師が話すから、みんな教会へ行って聞いたことを話し合うんだ」。私が知っているアメリカとは違う。アメリカって、時に「極端」に走るんだ。 (第56回中国短編文学賞入賞者=広島市)
(2025年1月16日朝刊掲載)