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遺品 無言の証人

[無言の証人] 女学生のもんぺ

毎晩抱いて眠った母

 ぼろぼろに破けた布切れ。黒く変色した部分は熱線に焼かれたのか。1945年8月6日、14歳だった松本美代子さんが身に着けていた、もんぺの一部だ。

 広島女学院高等女学校(現広島女学院中高、広島市中区)2年生だった松本さんは、空襲に備えて防火帯をつくる建物疎開作業のため雑魚場町(現中区)にいた。爆心地から1・2キロで原爆に遭った。

 牛田町(現東区)の自宅裏の畑にいた母マサさんは、松本さんを捜して焼け野原の広島の街を歩き通した。どうしても見つからない娘を思い「毎夜しのび泣いていた」と家族は振り返る。

 翌46年の広島原爆の日、家族は建物疎開作業の現場付近で、娘がはいていたのと同じしま模様のもんぺを土の下から見つけた。マサさんは生前、毎晩もんぺを抱いて床に就いたという。

 97年、美代子さんの姉の宮田幸子さんが原爆資料館にもんぺを寄贈した。宮田さん自身も爆心地から2・3キロの自宅で被爆し、ガラスの破片で全身は血だらけに。頭には骨が見えるほどの大けがを負った。2001年に亡くなるまで、妹たちの無念を胸に核兵器廃絶を訴える証言活動を続けた。(新山京子)

(2025年1月20日朝刊掲載)

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