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社説・コラム

『書評』 核問題の「当事者性」 中原聖乃、三田貴、黒崎岳大編著

加害と被害 超えて考える

 日本被団協のノーベル平和賞セレモニーも無事終わった。だが核を巡る危機に変わりはなく、祝賀ムードもここまでだ。中原聖乃(金沢星稜大)ら編著者が「仮に米国が核兵器を使用した場合、米国の核の傘の下にいる日本は、今度は加害者側の立場に立たされる可能性すらある」と本書の冒頭で指摘するように、日本=核被害者という視点だけでは何も見えない。

 核問題を加害/被害の二項対立ではなく「自分事=当事者」として考える。これが本書のテーマだ。専門家10人がビキニ事件を含む太平洋の核被害を主に取り上げ、このうち小杉世(大阪大)は1950年代の英米の核実験とニュージーランドの関係に焦点を当てる。

 ニュージーランドは英国の圧力に屈して自国から遠いキリバスのクリスマス島などを核実験場に推薦し、約500人の兵士を観測のために派遣して島民とともに被曝(ひばく)させた。その後、独自の原子力開発は断念し、87年に非核法を成立させて反核の国となる。これがニュージーランドの二面性であり「太平洋の軍事化」の実態も見えてくる。

 ビキニ事件の諸相については聞間元(医師)と市田真理(第五福竜丸展示館)が指摘している。聞間は第五福竜丸以外の漁船、貨物船に乗り組んだ数万人の被災船員はなぜ忘れられたのか問う。当時の医学的知見や原水禁運動の限界に加えて、本来は当事者だったはずの船員たちの置かれた立場の弱さ―。高知県の元船員による訴訟は現在進行形である。市田は日米両政府による「補償金」が第五福竜丸側へのねたみを生み、当事者は口を閉ざす中で元船員大石又七がなぜ怒りの声を上げたのか、大石の語りを引き継ぐおのれの役割とは何か、つづっていく。

 マーシャル諸島の核被害の調査を続ける中原は「執筆者自身も核の問題を当事者としてともに考えた」と言う。福島第1原発事故の当事者性とは何かを問う市民運動家を含め、執筆陣がフィールドワーカーであることも本書の趣旨に説得力を持たせている。 (佐田尾信作・客員編集委員)

泉町書房・2970円

(2025年1月19日朝刊掲載)

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