緑地帯 武谷田鶴子 私は被爆者⑦
25年1月21日
私は幾度も被爆体験を語ったり、書いたりしてきた。脳裏に去来するのは、被爆時の残酷な光景だ。頭上から舞い落ちた原爆で、広島の街は大変なことになった。核兵器は絶対に廃絶するべきだと思う。
私がひどい火傷(やけど)を負い、体が硬直したまま10カ月、寝かされていると、家の空気は重く、暗くなった。母は私の介護で疲れて乳が出なくなり、生後6カ月の妹が亡くなった。
メディアの取材を受ける時、私は火傷している左頰を記者に隠すようにする。しかし、写真は左頰をパチリと撮られてしまうことがあった。悔しく、がっくりしてしまう。
被爆から80年になろうとしている。広島に落とされた原爆の実情を、今こそ世界の人に伝えてほしい。日本政府はもうアメリカに遠慮することはない。
私には今も忘れられない姿がある。全身の皮膚が焼け、真っ赤な姿で道に横たわる人たちの姿だ。核兵器を開発したアメリカは科学の進歩と自慢するが、それは違うと思う。
アメリカは、核兵器を開発し、製造し、使用した。広島の残酷な光景に衝撃を受けたのであれば、核兵器を造っている国々に、核廃絶をしようとは言えないのだろうか。
「核の冬」のことも語られなくなった。もし核戦争になれば巻き上げられた粉じんが太陽光線をさえぎり、気温が下がって、地球に住む人間全てが死に至るようになるのだが。 (第56回中国短編文学賞入賞者=広島市)
(2025年1月21日朝刊掲載)
私がひどい火傷(やけど)を負い、体が硬直したまま10カ月、寝かされていると、家の空気は重く、暗くなった。母は私の介護で疲れて乳が出なくなり、生後6カ月の妹が亡くなった。
メディアの取材を受ける時、私は火傷している左頰を記者に隠すようにする。しかし、写真は左頰をパチリと撮られてしまうことがあった。悔しく、がっくりしてしまう。
被爆から80年になろうとしている。広島に落とされた原爆の実情を、今こそ世界の人に伝えてほしい。日本政府はもうアメリカに遠慮することはない。
私には今も忘れられない姿がある。全身の皮膚が焼け、真っ赤な姿で道に横たわる人たちの姿だ。核兵器を開発したアメリカは科学の進歩と自慢するが、それは違うと思う。
アメリカは、核兵器を開発し、製造し、使用した。広島の残酷な光景に衝撃を受けたのであれば、核兵器を造っている国々に、核廃絶をしようとは言えないのだろうか。
「核の冬」のことも語られなくなった。もし核戦争になれば巻き上げられた粉じんが太陽光線をさえぎり、気温が下がって、地球に住む人間全てが死に至るようになるのだが。 (第56回中国短編文学賞入賞者=広島市)
(2025年1月21日朝刊掲載)