『潮流』 平和へのメッセージ
25年1月21日
■尾道支局長 西山文男
文化勲章受章の日本画家、尾道市瀬戸田町出身の平山郁夫さんが79歳で亡くなって15年。地元の平山郁夫美術館が昨年12月2日の命日に合わせ、来館者にメッセージを募ったところ、1カ月ほどで45点が寄せられた。「瀬戸田から平和を祈ります」「若い世代に何とか継いでほしい」。掲示されたメッセージを読むと、ウクライナやパレスチナの人たちの姿が脳裏に浮かんだ。
今年、原爆投下から80年。旧制中学3年だった平山さんは学徒動員先の広島陸軍兵器補給廠(しょう)の渕崎材木置き場(現在の広島市南区仁保)で被爆した。翌日、古里の島に帰り着いたが、体調を崩し、画家となった後年も白血球の減少などで苦しんだという。
だが、平山さんが原爆を直接、テーマに描いた作品は34年たった1979年の「広島生変(しょうへん)図」だけ。12歳違いの弟で、平山美術館の館長を務める助成さん(82)も「兄が積極的に原爆について家族に話すことはなかった」と振り返る。
「被爆の後遺症に苦しみましたが、画家となり平和への祈りを描くことによってこれを越えることができました」。97年春、自身の名前が付いた古里の美術館開館に寄せたメッセージにつづった。仏教伝来、シルクロードなどと続く原点が原爆であり、静かな音楽が流れるように作品群には平和の祈りが込められていると気付かされる。
平山美術館では初となる「再興第109回院展」が3月1日、開幕する。亡くなるまで平山さんが理事長を務めた日本美術院の同人や気鋭の若手の大作67点が展示される。絵筆に込めた平山さんの平和への祈りを、多くの人に引き継ぐ場になってほしいと願う。
(2025年1月21日朝刊掲載)
文化勲章受章の日本画家、尾道市瀬戸田町出身の平山郁夫さんが79歳で亡くなって15年。地元の平山郁夫美術館が昨年12月2日の命日に合わせ、来館者にメッセージを募ったところ、1カ月ほどで45点が寄せられた。「瀬戸田から平和を祈ります」「若い世代に何とか継いでほしい」。掲示されたメッセージを読むと、ウクライナやパレスチナの人たちの姿が脳裏に浮かんだ。
今年、原爆投下から80年。旧制中学3年だった平山さんは学徒動員先の広島陸軍兵器補給廠(しょう)の渕崎材木置き場(現在の広島市南区仁保)で被爆した。翌日、古里の島に帰り着いたが、体調を崩し、画家となった後年も白血球の減少などで苦しんだという。
だが、平山さんが原爆を直接、テーマに描いた作品は34年たった1979年の「広島生変(しょうへん)図」だけ。12歳違いの弟で、平山美術館の館長を務める助成さん(82)も「兄が積極的に原爆について家族に話すことはなかった」と振り返る。
「被爆の後遺症に苦しみましたが、画家となり平和への祈りを描くことによってこれを越えることができました」。97年春、自身の名前が付いた古里の美術館開館に寄せたメッセージにつづった。仏教伝来、シルクロードなどと続く原点が原爆であり、静かな音楽が流れるように作品群には平和の祈りが込められていると気付かされる。
平山美術館では初となる「再興第109回院展」が3月1日、開幕する。亡くなるまで平山さんが理事長を務めた日本美術院の同人や気鋭の若手の大作67点が展示される。絵筆に込めた平山さんの平和への祈りを、多くの人に引き継ぐ場になってほしいと願う。
(2025年1月21日朝刊掲載)