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[ヒロシマドキュメント 被爆80年] 被爆翌年 壊滅の街鮮明に 爆心地近く カラー写真現存

 被爆翌年の1946年8月から12月までの間に広島市の爆心地近くで壊滅した中島本町(現中区の平和記念公園)や大手町(現中区)を撮影したカラー写真が、国立国会図書館(東京)に残っていた。この時期の市内のカラー写真は少なく、米軍の原爆投下から1年がたってもあらわな街の傷痕や、再建の兆しを鮮明に伝える貴重な記録だ。(編集委員・水川恭輔)

 撮影者は、連合国軍総司令部(GHQ)の文民スタッフとして46年4月~47年1月に日本に滞在したロバート・モージャー氏。広島県産業奨励館(現中区の原爆ドーム)、中島本町のバラックのほか、大手町で大破した県農業会広島支所や広島瓦斯(現広島ガス)本社、被爆で廃校となった大手町国民学校跡などが写る。

 国会図書館は2008年にモージャー氏の米国在住の親族から、東京、名古屋などを含む日本のカラー写真304枚の寄贈を受け、デジタルアーカイブで公開してきた。うち広島分は17枚あるが、産業奨励館の2枚を除く15枚の撮影場所の情報を得られておらず、「焼け跡風景」「建物」などと説明していた。

 今回、中国新聞が原爆資料館の協力を得て15枚の撮影場所を検証し、10枚を特定した。撮影時期は中島本町の状況などから、46年8月以降、年内までと分かった。

(2025年1月23日朝刊掲載)

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