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[考 fromヒロシマ] 「韓国のヒロシマ」 陜川の今を取材 在韓被爆者の存在 世界へ

 広島と長崎では、植民地支配下の朝鮮半島から出稼ぎや徴用、徴兵などで日本に渡った人が多く被爆した。日本の敗戦を経て帰還後も援護の枠外に置かれ、病気や差別、貧困に苦しんだ。被爆80年が近づく今、何を思っているのだろうか。被爆者が多く戻ったことから「韓国のヒロシマ」と呼ばれる慶尚南道の陜川(ハプチョン)郡と、南部の都市釜山(プサン)を昨年末に訪れた。日本被団協の代表団に加わって昨年のノーベル平和賞授賞式に出席した被爆者と被爆2世らを取材した。

ノーベル平和賞 授賞式に出席

 陜川は、釜山の北西約100キロの山あいにある集落だ。2017年開館の陜川原爆資料館があり、2階の一室は韓国原爆被害者協会の事務所になっている。広島で被爆した鄭源述(チョン・ウォンスル)会長(81)が取材に応じ「被爆という苦痛を強いられた人たちに賞が贈られることが、同じ被害者としてうれしかった」とノーベル平和賞について語った。

 日本被団協から声がかかり、昨年12月10日にはノルウェーでの授賞式に出席した。同協会に登録された被爆者は約1650人。「韓国の被爆者の存在を世界に知らせたい」と伝統衣装の韓服で臨んだ。

 鄭さんは被爆時1歳だった。日本敗戦後の1945年12月ごろ朝鮮半島に戻り、親は路上で農作物や餅を売って家計を支えた。周りにも病気や体の不調に苦しむ人は多かった上、「韓国でも差別や原爆被害への無理解に直面した」。50年に勃発した朝鮮戦争で、またも戦争に翻弄(ほんろう)された。

 授賞演説では、日本政府が長年海外の被爆者に援護の手を差し伸べなかったと田中熙巳(てるみ)代表委員が言及した。「それぞれの国で結成された原爆被害者の会と私たちは連帯し、あるときは裁判で、あるときは活動を通して訴え、国内とほぼ同様の援護が行われるようになってきた」

 かつては被爆者が苦労して被爆者健康手帳を取得しても、国外に出ると失効する、と旧厚生省の通達で決められていた。67年の同協会創設に加わった故郭貴勲(クァク・クィフン)元会長たちは、日本人の支援者や日本被団協の支援を得て国を相手に訴訟を闘い、健康管理手当の受給などへ道を切り開いていった。

 鄭さんは、韓国の被爆者運動の先人たちを思いながら授賞式に出席し、若者との交流会では自分と家族の体験を語った。日本の高校生平和大使から「核のない社会へ私たちも取り組む、と言われ感銘を受けた」という。

 「人類共存のため戦争をなくすことが大切」と鄭さん。「そのためには『謝罪』、そして『許すこと』が必要」と言葉を継いだ。同協会は、原爆を投下した米国と、朝鮮半島の植民地支配や徴用を行った日本の両政府に責任を問うことを活動目標に掲げる。「責任を認め、賠償して償う前例を作りたい。そうして核兵器を使えないようにする」

 資料館のそばに、日本政府の支援で建設された被爆者の養護施設「陜川原爆被害者福祉会館」がある。原爆死没者の「慰霊閣」には位牌(いはい)がずらりと並ぶ。在韓被爆者にとって広島と長崎での体験は、原爆被害だけでない。支配や差別の歴史と記憶にも、私たちは向き合わなければならない。(頼金育美)

2世たち 健康不安なおも

 被爆2世の李太宰(イ・テジェ)さん(65)=釜山市=も、鄭会長の通訳も兼ねてノーベル平和賞授賞式に出席した。「父の生前の姿、韓国の被爆者と2世、3世の皆を思い胸が締め付けられた」

 父は長崎の三菱兵器製作所に徴用され、爆心地から約2・5キロで被爆した故李康寧(イ・カンニョン)さん。在外被爆者が日本の健康管理手当を海外でも受給できるよう裁判で訴えるなど、郭さんらとともに在外被爆者援護のため力を尽くした一人だ。

 李さんは父の遺志を継ぎ、2世団体の代表として活動している。「被爆者は日本人だけでない。日本の侵略戦争と強制動員、米国の原爆投下をただすことで、被爆者をつくった歴史を繰り返させないようにする」との信念で日韓の交流活動に携わる。

 韓国の被爆2世は、李さんによると約3100人。「過去のことではなく、今も続くのが原爆被害」と声を強める。幼い頃から病弱だった。結婚して子どもが生まれた後に、父から「長崎で被爆した」と言われ自身が被爆2世だと知った。韓国では17年に被爆者支援の特別法が施行され、郡の施策では2世と3世の支援もあるが「まだ不十分だ」と訴える。

 2世の支援団体が運営する「陜川平和の家」の事務局長、韓正淳(ハン・ジョンスン)さん(66)からも話を聞いた。平和の家は、2世の知的障害者や視覚障害者が集う場だ。「息子は脳性まひ。因果関係は不明と言われても、被爆2世の自分を責めてしまう」と涙した。韓さんの兄は広島で胎内被爆し、1歳で亡くなった。

 李さんは、特別法の対象を子や孫に広げる運動を続ける。3月3日からニューヨークの国連本部で始まる核兵器禁止条約の締約国会議に合わせて渡米。原爆被害の現状を訴えるとともに、核兵器廃絶へ声を上げるという。

 韓国の被爆2世たちが健康不安を抱えて生きている。原爆被害とは何なのか―。私たちが思う以上に暮らしや心にも及ぶ広範さで、しかも世代をまたぐのだと痛感させられる。(鈴木愛理)

(2025年1月27日朝刊掲載)

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