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二葉山に軍司令部壕跡 5ヵ所確認 大半土砂で埋まる 被爆翌日 壕で会議「広島復興 原点」

 広島市東区の二葉山で、旧日本軍の第二総軍司令部壕(ごう)跡とみられる穴が複数確認されている。地元の研究者たちは、原爆投下翌日に司令部が会議を開き、被爆者の救護活動や遺体収容を指揮するなどした貴重な戦争遺構とみる。被爆80年。穴は土砂で埋まりつつあり「このままでは被爆後の広島の歴史が失われる」として、行政による早期の調査・保存を訴える。(野平慧一)

 穴は市郷土資料館(南区)の元学芸員で旧日本軍の歴史研究を続ける秋政久裕さん(62)=東広島市=たちが調べている。二葉の里にあった司令部の背後に位置する二葉山南側の斜面に5カ所確認。横穴が四つ、縦穴が一つで、一部の入り口はコンクリートで補強されている。内部は土砂で埋まり、大半は入れない。

 被爆当時、司令部の司令官だった畑俊六氏の手記や他の被爆体験記によると、1945年春ごろに壕を掘り始め、8月6日午後に、畑氏が壕内で市街地の復旧を軍が担うと決めた。翌7日に被爆を免れた広島県の高野源進知事たち地元行政の幹部を集めて会議を開き、一時的に軍に行政権を委ねることを伝えたとされる。後の市長の浜井信三氏も出席した。

 秋政さんは東区出身で、市郷土資料館や広島城(中区)で学芸員を歴任。二葉山の壕の存在を文献で知り、約5年前に本格的な調査に乗り出した。1年前からNPO法人広島文化財センター(東区)や大学教授とも連携する。壕は、400人ほどを収容する計画だったとされるが、設計図が入手できていないため、正確な大きさや全体像がつかめないという。

 少なくとも二つの穴は国有林にあるが、林野庁広島森林管理署は「現時点で保存や調査をする予定はない」とする。秋政さんは「軍に関する話はタブー視されがちだが、広島の復興の原点がここにある。時間とともに埋まりつつある穴を保存するとともに、被爆直後の広島の歴史を正しく記録し、伝えていく必要がある」と話している。

第二総軍司令部
 米軍による沖縄上陸や各地への空襲など戦況が悪化する中、陸軍が1945年4月、「本土決戦」に備えて、広島市二葉の里(現東区)に西日本を統括する第二総軍司令部を設けた。爆心地から約1・8キロ。原爆で建物が全焼するなど大きな被害が出た。東日本をまとめる第一総軍司令部は、東京に設置。「日本が東西に分断されても戦える措置」(「広島県戦災史」88年刊)として軍都広島の役割を強めた。

(2025年1月25日朝刊掲載)

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