[戦後80年 遺構を巡る 芸南賀茂] 大空山砲台跡(呉市阿賀町) 空襲で12発発射の記録
25年1月30日
呉市の大空山(約200メートル)の山頂にある大空山公園。園内の3階建ての展望台からは瀬戸内海を一望でき、春には千本以上の桜を楽しむ花見客でにぎわう。かつて呉を防御するための砲台があった。
1903(明治36)年に旧陸軍が建設。戦場で航空機が主力となった第1次世界大戦以降、防空砲台として再整備された。砲座や弾薬庫だったとみられる堅固な石造りの構造物が多く残る。
市史によると、終戦間際、呉周辺には灰ケ峰や倉橋島の亀ケ首、警固屋地区の高烏山など計20カ所に防空砲台があった。大空山には高射砲6門があり、広海軍工廠(こうしょう)が攻撃された45(昭和20)年5月5日の空襲で、12発を発射したとの記録が残る。その後にあった6、7月の空襲では発射の記録がない。
住民たちでつくる阿賀歴史文化研究会のメンバーで、空襲を生き延びた倉本勝文さん(91)=阿賀中央=は「灰ケ峰の方から高射砲を撃っていた記憶はあるが、大空山は聞いたことがない」と話す。
終戦まで民間人の立ち入りが禁止されていた。同研究会によると、50年代から阿賀地区の住民たちが公園や道に桜を植樹し始めたという。63(昭和38)年に市が公園(約13ヘクタール)として整備した。(小林旦地)
◇
東洋一といわれた軍港や呉海軍工廠があった呉市をはじめ芸南賀茂地区には戦争遺構が多く残る。歴史を今に伝える遺構を随時紹介する。
(2025年1月30日朝刊掲載)
1903(明治36)年に旧陸軍が建設。戦場で航空機が主力となった第1次世界大戦以降、防空砲台として再整備された。砲座や弾薬庫だったとみられる堅固な石造りの構造物が多く残る。
市史によると、終戦間際、呉周辺には灰ケ峰や倉橋島の亀ケ首、警固屋地区の高烏山など計20カ所に防空砲台があった。大空山には高射砲6門があり、広海軍工廠(こうしょう)が攻撃された45(昭和20)年5月5日の空襲で、12発を発射したとの記録が残る。その後にあった6、7月の空襲では発射の記録がない。
住民たちでつくる阿賀歴史文化研究会のメンバーで、空襲を生き延びた倉本勝文さん(91)=阿賀中央=は「灰ケ峰の方から高射砲を撃っていた記憶はあるが、大空山は聞いたことがない」と話す。
終戦まで民間人の立ち入りが禁止されていた。同研究会によると、50年代から阿賀地区の住民たちが公園や道に桜を植樹し始めたという。63(昭和38)年に市が公園(約13ヘクタール)として整備した。(小林旦地)
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東洋一といわれた軍港や呉海軍工廠があった呉市をはじめ芸南賀茂地区には戦争遺構が多く残る。歴史を今に伝える遺構を随時紹介する。
(2025年1月30日朝刊掲載)