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連載・特集

平和の伝道 被爆80年に寄せて <下> プロテスタントで元外務省主任分析官の作家 佐藤優さん(65)=東京都

米の謝罪 不可能ではない

ヒロシマの訴えに罪悪感

 原爆投下の当事国が責任に向き合い、謝罪と和解へと歩み始めることは可能なのだろうか。プロテスタントの教えが根付いた米国の国民性に希望を見る識者がいる。被爆80年の節目に宗教の視点から平和への道筋を考える本連載に、提言を寄せてもらった。(山田祐)

  ≪外交官として積み重ねた長年の知見も踏まえ、痛感しているのが「核抑止論」の愚かさだという。≫

 核抑止論とは「砂上の楼閣」のようなものです。お互いの額に拳銃を突き付けて引き金に手をかけている状態で、それぞれ相手が引き金を引くわけがないだろうと考えているわけです。

 もともとその危うさは指摘されてきましたが、欧州と中東で戦争が長期化し、核兵器が使用される懸念が高まっているこの現状を見れば、その論理が全く成り立っていないことが分かります。核抑止力論のわなから抜け出すためには、核兵器を廃絶するしかありません。

 もちろん、各国の政治家や外交官たちが核抑止力論にすがっている現状を即座に変えるのは簡単ではありません。重要なのはその現状を踏まえながらも、それぞれの立場から核兵器廃絶を強く訴え続けることです。

 私自身、日本が核兵器禁止条約に加わるよう働きかけることを言論人の責務と受け止めています。日本政府の一番の間違いは「日本は米国の核の傘によって守られているから、条約に加わるとそことの整合性を崩す」という姿勢にあると思っています。

 全くの誤りで、これくらいで米国は怒りはしません。唯一の戦争被爆国として、まずはオブザーバー参加から始めるべきです。

 ≪核兵器廃絶のキーになると考えているのが、自身も信仰しているプロテスタントの教えだという。≫

 核兵器廃絶に向けて歩み始めるためには、まずは米国が広島と長崎への原爆の投下責任を認めた上で謝罪をし、和解に結び付ける必要があります。決して不可能ではないと思っています。

 米国の建国理念の背景にはプロテスタントの教えがあります。「人間は誰一人例外なく罪を抱えている」との価値観から、被爆地の惨状が心の琴線に触れないはずがありません。

 米国の主流派の人々は「あの戦争は原爆を投下しなければ終わらなかった」との公式の見説に一応納得しています。しかし、キリスト教の価値観に照らして、罪悪感を抱えている人は少なからずいます。

 米国人がそういう感覚を抱くようになったのは、被爆地の広島が積極的な発信を続けてきたからです。

 「ヒロシマ」が世界で通じる言葉になるほど地道に誠実に訴え続けてきた営みを、過小評価するべきではないと考えます。なかなか成果が見えなかったとしても諦めず、歩み続けてもらいたいと思います。

 ≪石破茂首相の考えや信仰の在り方に注目している。≫

 石破首相は1月上旬、ノーベル平和賞を受賞した日本被団協の人たちと面会した際に核兵器禁止条約へのオブザーバー参加を求められましたが、先日、3月の締約国会議への参加を見送る方向で調整に入ったと伝えられました。

 平和を願う方々の歯がゆい思いはよく理解できます。それでも、被団協の皆さんが首相に直接思いを伝えたことに必ず意味はあります。首相の立場で言葉にできることは限られたのでしょうが、それでも彼の心には必ず影響を与えています。

 石破氏はプロテスタントの熱心な信徒です。昨年12月にはクリスマス礼拝に2時間近く参列したと報じられました。

 首相就任前に刊行された石破氏の語録を読んでみると、その思考がよく分かります。防衛力の整備を説いている半面、「平和のために祈る」大切さを強調してもいるんです。歴代の首相でキリスト教の信仰がここまで表に出た人を知りません。彼の中で信仰の位置付けが非常に大きいことを示しています。その価値観に沿えば、核兵器禁止条約に参加しても構わないはずなんです。

 キリスト教では「それぞれに生まれ持った使命が一つずつある」と考えます。石破氏が「核兵器廃絶こそが自分の使命」と確信を抱けば、きっと動き出すはずだと信じます。だから広島の声を伝え続けることが大切なんです。

(2025年2月3日朝刊掲載)

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