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[ヒロシマドキュメント 被爆80年] 1949年8月6日 平和都市法公布 被爆者ら製作の鐘 響く

 被爆から4年の1949年8月6日。広島平和記念都市建設法が公布、施行された。この日、広島市基町(現中区)の市民広場であった第3回平和祭の式典で、浜井信三市長が平和宣言。公布・施行に触れ、「永遠に戦争を放棄し世界平和の理念を地上に建設しよう」と訴えた。

6条の重要性

 同法は、広島を恒久平和に向けた象徴の都市とするために国などが「できる限りの援助」を与えるよう3条で規定。6条で、平和記念都市の完成へ「住民の協力」を得て「不断の活動」に取り組む市長の責務を掲げた。

 参院議事部長で法案起草に携わった寺光忠さんも解説書「ヒロシマ平和都市法」(49年)で6条の重要性を説いた。「広島市長が積極的であればあるほど、その強さに正比例して(3条も)活(い)きてはたらくことになる」

 市は8月、平和を求める世論を高め、束ねようと「平和請願署名運動」を開始。署名は「世界最初の原子爆弾戦争を体験したわれら広島市民」として「国際連合を強化し、今後の戦争を防止し得るような強力な世界組織をつくらんことを請願す」とした。提出先はトルーマン米大統領だった。

 運動を市に勧めたのは、48年秋から渡米して広島の被害を講演して回った被爆者の谷本清牧師。現地のジャーナリストたちに示唆されたという。第2次世界大戦の惨禍を踏まえ、戦争の原因である国家間の対立を乗り越える「世界連邦」の設立運動が欧米を中心に広がっていた。

手弁当で資材

 49年は、「ノーモア・ヒロシマズ」のスローガンの下、前年に始まった8月6日に世界平和を祈る運動の一環で、米サンフランシスコ市やニューヨーク州などの教会で原爆投下時刻に平和の鐘を鳴らす行事があった。広島市の平和祭式典でも、ノーモア・ヒロシマズと英文で刻んだ新たな「平和の鐘」が鳴らされた。

 鐘は、高さ1・4メートルのベル型。高さ約9メートルの鉄骨の鐘楼につり下げられた。経緯に詳しい高東博視さん(79)=佐伯区=は、「地元の被爆者たちがつくり上げた、まさに広島の式典にふさわしい鐘だった」とみる。

 第1、2回の式典で鳴らされたのは旧海軍の払い下げを受けた鐘。一方、第3回の鐘は地元の鋳物業者でつくる広島銅合金鋳造会が製作し、8月5日に市へ寄贈した。

 「原爆から生き残った業者連で、平和都市建設法が国会を通過した記念にしたい」(6月23日付本紙の松村米吉会長の談話)。組合員が手弁当で資材も持ち寄り、焼け跡に残っていた金属も使われたという。

 この鐘は設置当時の場所の、現ひろしまゲートパークに残る。平和記念式典では使われていないが、高東さんが代表を務める市民グループ「響け!平和の鐘実行委員会」は、8月に鳴らす祈念式を開いている。(編集委員・水川恭輔)

(2025年2月9日朝刊掲載)

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