[戦後80年 遺構を巡る 芸南賀茂] 戦艦陸奥の砲塔(江田島市江田島町) 移設し兵学校の教材に
25年2月9日
終戦前に山口県沖で沈没した旧日本海軍の戦艦陸奥。その主砲の砲塔が江田島市江田島町の海上自衛隊第1術科学校の敷地内に残されている。改装時に撤去された4番砲塔で、同学校が海軍兵学校だった1935(昭和10)年に教材として移設された。
砲塔は全長18・8メートル。2本の砲身は江田島湾に向いている。口径40センチ砲で射程は30キロ、弾丸の重量は約1トン。戦後、米軍に砲塔内部の設備が爆破されたが、装甲が約20センチと厚く、外観はそのまま残る。兄弟艦だった戦艦長門の主砲の砲弾も横に並ぶ。
陸奥は神奈川県の横須賀海軍工廠(こうしょう)で21(大正10)年に完成。全長215・8メートルで、主砲身など主要な部材は呉海軍工廠で建造された。43(昭和18)年6月8日、呉を出港して山口県の柱島沖に停泊中、爆発事故で沈没。乗っていた1121人が亡くなった。70(昭和45)年に引き揚げられた船体の一部などを同学校教育参考館に展示している。
砲塔は一般見学コースから遠目に見ることができる。同学校の学生や見学に訪れた人々が当時の戦争について考える貴重な資料となっている。(楠信一)
(2025年2月9日朝刊掲載)
砲塔は全長18・8メートル。2本の砲身は江田島湾に向いている。口径40センチ砲で射程は30キロ、弾丸の重量は約1トン。戦後、米軍に砲塔内部の設備が爆破されたが、装甲が約20センチと厚く、外観はそのまま残る。兄弟艦だった戦艦長門の主砲の砲弾も横に並ぶ。
陸奥は神奈川県の横須賀海軍工廠(こうしょう)で21(大正10)年に完成。全長215・8メートルで、主砲身など主要な部材は呉海軍工廠で建造された。43(昭和18)年6月8日、呉を出港して山口県の柱島沖に停泊中、爆発事故で沈没。乗っていた1121人が亡くなった。70(昭和45)年に引き揚げられた船体の一部などを同学校教育参考館に展示している。
砲塔は一般見学コースから遠目に見ることができる。同学校の学生や見学に訪れた人々が当時の戦争について考える貴重な資料となっている。(楠信一)
(2025年2月9日朝刊掲載)