「生ましめんかな」モデル 助産師の遺影登録 平和祈念館 母子の被爆体験記公開
25年2月8日
国立広島原爆死没者追悼平和祈念館(広島市中区)は7日、米軍による原爆投下の2日後に産気づいた女性の出産を支えた、助産師三好ウメヨさん(1971年に65歳で死去)の遺影を登録したと発表した。詩人栗原貞子の代表作「生ましめんかな」のモチーフ。その時の母子の被爆体験記も公開した。
三好さんは45年8月6日に爆心地から約1・3キロで被爆し、背中と腕に大やけどを負った。8日に夫の勤務先だった広島貯金支局(現中区)の地下室に移動。深夜、産気づいた平野美貴子さん(81年に72歳で死去)の出産を高熱に苦しみながら助け、小嶋和子さん(79)=南区=を取り上げた。
今回、祈念館の働き掛けで、三好さんの孫の智史さん(68)=安佐南区=が遺影を提供した。
また、小嶋さんは初の体験記を書き下ろした。「偉大な詩の重さ」を感じながら生きてきたと吐露。「静かに、微力だとしても平和につながる活動を続けていきたいと思っている。運命を胸に抱きながら」と結んでいる。平野さんは被爆30年に合わせて手記を残し、戦後の食糧難の中で子どもを育てる苦労などをつづっている。
体験記は同館や、サイト「平和情報ネットワーク」で読める。遺影登録は☎082(543)6271。(下高充生)
(2025年2月8日朝刊掲載)
三好さんは45年8月6日に爆心地から約1・3キロで被爆し、背中と腕に大やけどを負った。8日に夫の勤務先だった広島貯金支局(現中区)の地下室に移動。深夜、産気づいた平野美貴子さん(81年に72歳で死去)の出産を高熱に苦しみながら助け、小嶋和子さん(79)=南区=を取り上げた。
今回、祈念館の働き掛けで、三好さんの孫の智史さん(68)=安佐南区=が遺影を提供した。
また、小嶋さんは初の体験記を書き下ろした。「偉大な詩の重さ」を感じながら生きてきたと吐露。「静かに、微力だとしても平和につながる活動を続けていきたいと思っている。運命を胸に抱きながら」と結んでいる。平野さんは被爆30年に合わせて手記を残し、戦後の食糧難の中で子どもを育てる苦労などをつづっている。
体験記は同館や、サイト「平和情報ネットワーク」で読める。遺影登録は☎082(543)6271。(下高充生)
(2025年2月8日朝刊掲載)