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社説・コラム

『潮流』 山里の平和記念館

■岩国総局長 岩崎秀史

 柳井市の山里に私設の平和記念館がある。80年前の戦争の傷痕を伝える同館を訪ねた。

 1945年7月28日、米軍のB24爆撃機が呉沖で戦艦を攻撃した後に対空砲火を浴び、柳井市伊陸(いかち)の山中に墜落した。脱出した乗組員9人のうち、捕虜として広島市に連行された6人が8月6日、原爆の犠牲となった。記念館はこの戦禍を刻むため、地元の会社役員武永昌徳さん(73)が2年前に私財を投じて開いた。

 トレーラーハウス内に20代の乗組員や機体の残骸の写真などをパネルで示す。墜落現場で見つかった機体の一部とみられる長さ1メートルほどの金属片もあり、生々しい。

 武永さんは仕事の傍ら週3日、無料で見学者を受け入れ、月に30~50人が訪れる。昨年10月にやって来た地元の小学5、6年生からは「なぜ戦争を止められなかったんですか」と質問されたという。

 武永さんは23年前、被爆死した米兵を調査している広島市の森重昭さんが文芸誌に寄せた記事を読み、米兵が自国の投下した原爆で亡くなった事実を知って衝撃を受けた。森さんと知り合い、古里で起きた史実の資料を集めてきた。

 被爆を免れた爆撃機の元機長が森さんに残した言葉を見学者に伝えている。「戦争は破壊と憎しみの連鎖を生み、平和は人々に幸福と繁栄をもたらす」。伊陸地区は武永さんの親の世代から米兵を悼んできた。この地に記念館を開いたのは、戦争被害に国境はないという義憤からという。そんな姿に感銘を受けた。

 広島市の原爆資料館の入館者数は本年度、過去最多を更新した。80年前の惨状を直視し、過去に学ぼうとする人が後を絶たない。山里の小さな平和記念館が果たす役割も、小さくない。

(2025年2月11日朝刊掲載)

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