『潮流』 火野葦平と中村哲さん
25年2月13日
■報道センター文化担当部長 道面雅量
「敗戦後の日本の、華麗な変節の中で、生き恥をさらして生活せざるを得なかった元兵士たる庶民の良心的心情を代表して、自ら世を去った一人の詩人」―。パキスタンやアフガニスタンで人道支援に尽くし、2019年、現地で凶弾に倒れた医師の中村哲さんが、伯父の作家火野葦平(1906~60年)について語った言葉だ。
1日付の文化面連載「この人の〝反核〟」では、葦平を取り上げた。かつて中村さんの講演や著作に触れ、葦平への思い入れを知っていたのも動機となった。
「麦と兵隊」をはじめ、従軍作家として書いた戦中の作品がベストセラーになった葦平。「戦犯作家」と指弾を受けても書くことをやめなかった戦後の歩みは、戦争と自らの関係を内省し、見極めようとした歩みでもあった。調べるにつれ、ヒロシマとの重層的な関わりも見えてきた。
連載でも触れたが、死の直後に刊行された遺書ともいえる小説「革命前後」に、敗戦から間もない時期の広島という設定で書かれた一幕がある。葦平本人と重なる主人公は、広島駅で敗残兵に「あんたが、いつ、『銭と兵隊』を書くかとわしら考えとったんじゃ」となじられる。「懸命に戦わなかった奴(やつ)は平和にも貢献できない」と強がったこともあるという葦平がたどり着いた、痛ましいまでの自己批判。胸を突かれた。
葦平がその道を選ばなかった、手のひらを返すような「華麗な変節」は今、例えば米国の大統領交代に伴う周囲の反応を見ても、ありふれている。軽薄な器用さとは対極にある葦平、そして中村さんの生きざまが、今に語りかけてくるものの重さを思う。
(2025年2月13日朝刊掲載)
「敗戦後の日本の、華麗な変節の中で、生き恥をさらして生活せざるを得なかった元兵士たる庶民の良心的心情を代表して、自ら世を去った一人の詩人」―。パキスタンやアフガニスタンで人道支援に尽くし、2019年、現地で凶弾に倒れた医師の中村哲さんが、伯父の作家火野葦平(1906~60年)について語った言葉だ。
1日付の文化面連載「この人の〝反核〟」では、葦平を取り上げた。かつて中村さんの講演や著作に触れ、葦平への思い入れを知っていたのも動機となった。
「麦と兵隊」をはじめ、従軍作家として書いた戦中の作品がベストセラーになった葦平。「戦犯作家」と指弾を受けても書くことをやめなかった戦後の歩みは、戦争と自らの関係を内省し、見極めようとした歩みでもあった。調べるにつれ、ヒロシマとの重層的な関わりも見えてきた。
連載でも触れたが、死の直後に刊行された遺書ともいえる小説「革命前後」に、敗戦から間もない時期の広島という設定で書かれた一幕がある。葦平本人と重なる主人公は、広島駅で敗残兵に「あんたが、いつ、『銭と兵隊』を書くかとわしら考えとったんじゃ」となじられる。「懸命に戦わなかった奴(やつ)は平和にも貢献できない」と強がったこともあるという葦平がたどり着いた、痛ましいまでの自己批判。胸を突かれた。
葦平がその道を選ばなかった、手のひらを返すような「華麗な変節」は今、例えば米国の大統領交代に伴う周囲の反応を見ても、ありふれている。軽薄な器用さとは対極にある葦平、そして中村さんの生きざまが、今に語りかけてくるものの重さを思う。
(2025年2月13日朝刊掲載)