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[ヒロシマドキュメント 1946年] 2月20日 福屋百貨店が営業再開

 1946年2月20日。広島市八丁堀(現中区)の福屋百貨店が、営業を再開した。焼け残った地上8階地下2階の建物のうち1階を改修し、「食料品、家庭雑貨及化粧品売場並にお馴染(なじみ)の福屋食堂を開設し御用命を承る」と、同日付中国新聞の広告欄に開店あいさつを載せた。

 「新規採用者を加えて男子38名・女子30名の社員での再開店である。再建を決意して僅(わず)か5カ月、自力による営業再開をなしとげた喜びは大きかった」。80年刊の「福屋五十年史」で、こう記録する。

 品ぞろえは十分ではなかったが、軍貯蔵の物資の販売もあり、いりこやシイタケなどが飛ぶように売れた。食堂には「海草めん」やカボチャ、「江波だんご」といった代用食が並び、「とうもろこしカステラ」を求める行列もできた。

 元日から酒の立ち飲み販売をする傍ら、店内の改修を進めていた。3階以上は貸事務所で、銀行や建設会社など約60社が入居。5月には洋画専門の「福屋名画劇場」が開館したが、47年に2階を進駐軍に接収されるなどしたため、全館での営業再開にこぎ着けたのは53年だった。翌年に広島天満屋ができるまで、周辺では唯一のデパートだった。

 森脇透さん(81)=安芸区=は46年に旧満州(現中国東北部)から引き揚げ、伯父を頼って福屋近くの流川町(現中区)で暮らすようになった。戦前に祖父、父が働いていた縁もあり、「誕生日に家族で福屋に行けるのが特別な時間だった」と懐かしむ。自身も大学進学後にカーテン売り場などでアルバイトし、小遣いを稼いだ。 (山本真帆)

(2025年2月20日朝刊掲載)

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