[戦後80年 遺構を巡る 芸南賀茂] 海軍山(東広島市志和町奧屋) 原爆投下のB29を確認
25年2月25日
東広島市志和町奥屋の大谷山(514メートル)は、地元で「海軍山」の別名で知られる。麓から1時間ほどかけて登山道を進むと、山頂近くにその由来となった遺構群が広がっている。
太平洋戦争中に旧日本軍が敵機を見張る防空施設として築いた「中野村聴測照射所」だ。大型の聴音機や探照灯、発電施設などの土台跡が点在する。通信室などがあった司令棟は今も外観をとどめ、山中で異彩を放っている。
1945年8月6日。「西條方向ニ大型機爆音ヲ聴取ス」。警備兵が残した日誌には、広島に原爆を投下した米軍のB29爆撃機エノラ・ゲイの飛来を確認した様子がつづられている。ただ、投下直前だったためか、広島市民にその情報が伝わることはなかった。「瞬間閃光(せんこう)ヲ認メタリ」
遺構を「声なき証言者」として継承する活動も続く。登山口近くで暮らす平原昭雄さん(84)たちが登山道を整備し、10年前からは平和登山を催す。戦死した平原さんの叔父が呉海軍工廠(こうしょう)(呉市)で働き、照射所の機器の組み立てに携わった縁もある。「この施設が築かれた経緯も含めて、戦争の悲惨さや平和の大切さを後世に伝えたい」と力を込める。(石井雄一)
(2025年2月25日朝刊掲載)
太平洋戦争中に旧日本軍が敵機を見張る防空施設として築いた「中野村聴測照射所」だ。大型の聴音機や探照灯、発電施設などの土台跡が点在する。通信室などがあった司令棟は今も外観をとどめ、山中で異彩を放っている。
1945年8月6日。「西條方向ニ大型機爆音ヲ聴取ス」。警備兵が残した日誌には、広島に原爆を投下した米軍のB29爆撃機エノラ・ゲイの飛来を確認した様子がつづられている。ただ、投下直前だったためか、広島市民にその情報が伝わることはなかった。「瞬間閃光(せんこう)ヲ認メタリ」
遺構を「声なき証言者」として継承する活動も続く。登山口近くで暮らす平原昭雄さん(84)たちが登山道を整備し、10年前からは平和登山を催す。戦死した平原さんの叔父が呉海軍工廠(こうしょう)(呉市)で働き、照射所の機器の組み立てに携わった縁もある。「この施設が築かれた経緯も含めて、戦争の悲惨さや平和の大切さを後世に伝えたい」と力を込める。(石井雄一)
(2025年2月25日朝刊掲載)