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軍都広島の空気示す日記 日中戦争「平和ノ為メダ!聖戦ダ‼」 陸軍幼年学校の生徒 海田の陸自施設に寄贈へ

 陸軍の幹部候補を養成した広島陸軍幼年学校(現広島市中区)に日中戦争時に在籍した生徒の日記が見つかった。天皇の言葉に感激し、戦闘訓練を重ねる日々の様子から、軍国主義の教育の影響がうかがえる。専門家は「軍都広島の空気が分かる貴重な資料」と評価。親族が近く、陸上自衛隊海田市駐屯地(広島県海田町)の顕彰館に寄贈する。(余村泰樹)

 学校は当時、広島城の北側にあり、将校を育てるため13歳以上の生徒が入学した。日記は福永典夫さんが入学当初の1938(昭和13)年4月から翌39年1月末に書いたもの。表紙に陸軍のシンボル五芒星(ごぼうせい)が描かれ、野営演習や歴史の試験、剣術の訓練などの行事と感想を毎日つづる。

 5月20日には、中国の徐州陥落の報に万歳三唱して歓喜。7月8日は、日中戦争1周年で天皇の勅語を受け「感激ニ堪ヘザルナリ」と記す。「今、日本ハ支那(中国)ト戦ヲ交ヘヰルモ、コレモ平和ノ為メダ!聖戦ダ‼」(8月9日)。軍国主義の教育を受ける中、戦争を正当化するような記述もある。

 10月6日には、ナチス・ドイツの青少年組織ヒトラー・ユーゲントが来校。その戦闘訓練を見て「独逸(ドイツ)ナドニハ負ケハシナイゾ」と日本の軍事力を誇る気持ちもにじむ。明治天皇が指揮を執った大本営跡や陸軍被服支廠(ししょう)の見学、戦死者を祭る招魂社への参拝も重ねるなど広島に軍事施設が集約していたことも分かる。

 福永さんは、愛媛県宇和島市の中学から幼年学校に入学。在学中の40年2月21日、結核と思われる胸の病気のため17歳で死去。日記の最後のページの日付は、約1年前の39年1月30日。「胸ガ痛シ」と記されている。体の不調を感じながらも、気を強く持ち運動や剣術に励む様子をしたためる。

 軍事史に詳しい埼玉大の一ノ瀬俊也教授は、日記に教官のチェックが入っている点に注目し「今の中学生くらいの少年に軍人の考えを植え付けるため軍が書かせていた」と指摘。「広島での軍国主義の教育を知る貴重な記録」としている。

 福永さんのめいの山形真理さん(74)=東京都三鷹市=は「お国のためにと体が悪くても無理をしたのだろう。伯父のように戦争のために若い命が失われる時代を繰り返してはいけない」と願う。

(2025年2月22日朝刊掲載)

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