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連載・特集

戦後80年 芸南賀茂 風船爆弾 <下> 資料を処分 解明の妨げ

 竹原市の大久野島に立つ巨大な廃虚。旧日本陸軍が島内で毒ガスを製造した際に電力を供給していた発電場跡だ。枯れたツタがはうこの建物では太平洋戦争末期、風船爆弾の気球を膨らませる作業も行われていた。

 「風船爆弾の存在自体を知らない人が多い」。同市の市民団体「大久野島から平和と環境を考える会」の山内正之代表(80)は話す。島内で希望者に毒ガス製造の歴史を紹介。発電場跡前では風船爆弾についても説明するが、認知度は低く、焦りを感じるという。米国で6人の犠牲者を出した事実に触れ「加害の歴史の一つ。重要な出来事なのに…」と漏らす。

記憶継承へ動き

 米国内の混乱を狙った風船爆弾だが、戦局に大きな影響を及ぼすことはなかった。陸軍省は1945年8月の終戦時に「特殊研究処理要領」を出し、風船爆弾や開発を担った研究所に関する資料の処分を指示。米本土を無差別に攻撃し、細菌兵器の搭載も検討したとされる点から、戦争犯罪の追及を回避するためだったとみられる。

 戦後、同研究所の関係者たちの証言が出てきたが、製造や放球の詳細は今も不明な点が多い。風化が危惧される中、実態の解明や記憶の継承に向けた動きが出ている。

 明治学院大国際平和研究所の松野誠也研究員(日本近現代史)は、風船爆弾を放球した茨城県内の基地の関連資料を国立公文書館(東京)で発見した。旧陸軍が戦時中に作成した文書の写しなどで、設備の配置計画などを伝える重要な内容だ。昨年7月、他の新資料も合わせて編さんした資料集が出版された。

 旧日本軍による毒ガスなどの生物化学兵器の調査を長年続ける松野研究員。風船爆弾について「膨大な資金と労力をつぎ込んで没頭した軍の愚かしさと時代の狂気を感じる」と指摘する。「それを許した背景は何だったのかを明らかにすることが、同じ過ちを繰り返さないための土台となる」と強調する。

作品で問題提起

 芸術分野で問題に向き合う人も。福島県在住の現代アーティスト竹内公太さん(42)は2022年、同県に放球の基地があったことなどから、風船爆弾を題材にしたインスタレーション(空間芸術)を手がけた。米国内の着弾したとされる場所を訪れ、撮影した地面の写真300点を貼り合わせて兵器と同じ直径約10メートルの「風船」に仕立てた。

 遠隔地を攻撃する風船爆弾の性質が、現代のドローン攻撃と重なって見えるという。竹内さんは「人の命の感覚が失われる暴力。作品を通じて歴史を感じ、体験してもらうことが対抗する手段だ」と力を込める。(渡部公揮)

(2025年2月28日朝刊掲載)

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