天風録 『「広島と同じ被害」』
25年3月1日
何年か前、静岡県焼津市で墓を捜して歩いたことがある。71年前のきょう、太平洋のビキニ環礁で米国の水爆実験による死の灰を浴び、半年後に亡くなった久保山愛吉さん。マグロ漁船、第五福竜丸の無線長だった▲毎年、ビキニデーの3月1日に墓前祭が営まれる古刹(こさつ)の境内から少し離れた場所で、ようやく夫婦の墓を見つけた。夫亡き後、40年近く生き抜いて娘たちを育てた妻。その苦労を静かにねぎらっているようにも見えた▲入院中につづった手記が当時の本紙に載っている。放射能を浴びたと告げられた際、妻に話しても、ぴんとこない様子。「広島の原爆と同じだよ」との説明に「本当?」と言ったきり泣き出したそうだ▲妻が思い描いただろう広島の惨状を捉えた写真・映像展がきのう、原爆資料館で始まった。本紙カメラマン故松重美人(よしと)さんの写したあの日の光景など、貴重なカットばかり。ユネスコ「世界の記憶」登録を目指す資料の一部だから当然、迫力がある▲元の体に戻って再び船に乗りたい―。久保山さんの無念は被爆者とも共通する。核がある限り、理不尽な被害が絶えることはない。惨禍をよく知る日本だからこそ果たすべき役割は何だろう。
(2025年3月1日朝刊掲載)
(2025年3月1日朝刊掲載)