被爆体験 母校で初めて語る 広島翔洋高で廿日市の大橋さん 友人の死や救護所の光景
25年3月1日
広島翔洋高(坂町)の前身の広島女子商業学校在学中に被爆した廿日市市の大橋和子さん(92)が、母校で初めて被爆体験を語った。親友を失った経験を語り、1、2年生約400人に「戦争だけは阻止して」と訴えた。
同校1年で12歳だった大橋さんは、爆心地から1・5キロの広島市平塚町(現中区東平塚町)で建物疎開の作業中に被爆。全身にやけどを負った。原爆投下の瞬間におしゃべりをしていた仲の良い友人は即死だったとみられ、「私はその子の陰にいたから助かったんだと思う」と涙ながらに語った。
南段原町(現南区段原南)の学校へ逃げる途中、比治山の麓で気を失い、救護所となった陸軍被服支廠(ししょう)の床で目を覚ました。亡くなった女性の乳を吸う赤ん坊を見て「これが戦争なんだと思った」と振り返った。
同高2年平川奈美希さん(17)は「学校の先輩の経験を聞き、自分も子どもたちに伝え続けたいと思った」と話した。
大橋さんは体験を家族にも話してこなかったが、被爆者が減る中、2年前に腎臓がんが見つかり「今話さなくては」と学校に申し出た。講話を終え「後輩たちの真剣な様子がうれしかった。体験を伝えられて良かった」と頰を緩めた。(桧山菜摘)
(2025年3月1日朝刊掲載)
同校1年で12歳だった大橋さんは、爆心地から1・5キロの広島市平塚町(現中区東平塚町)で建物疎開の作業中に被爆。全身にやけどを負った。原爆投下の瞬間におしゃべりをしていた仲の良い友人は即死だったとみられ、「私はその子の陰にいたから助かったんだと思う」と涙ながらに語った。
南段原町(現南区段原南)の学校へ逃げる途中、比治山の麓で気を失い、救護所となった陸軍被服支廠(ししょう)の床で目を覚ました。亡くなった女性の乳を吸う赤ん坊を見て「これが戦争なんだと思った」と振り返った。
同高2年平川奈美希さん(17)は「学校の先輩の経験を聞き、自分も子どもたちに伝え続けたいと思った」と話した。
大橋さんは体験を家族にも話してこなかったが、被爆者が減る中、2年前に腎臓がんが見つかり「今話さなくては」と学校に申し出た。講話を終え「後輩たちの真剣な様子がうれしかった。体験を伝えられて良かった」と頰を緩めた。(桧山菜摘)
(2025年3月1日朝刊掲載)