×

社説・コラム

天風録 『生ましめんかな』

 その墓所は古里・広島市可部の高台にある。石碑に刻まれるのは「戦争の放棄」をうたう日本国憲法第9条。あす没後20年を迎える原爆詩人、栗原貞子さんの代表作「生ましめんかな」は被爆2日後の実話を下敷きにした▲舞台は死の臭いに満ちた真っ暗なビルの地下。重傷だった助産師の手を借り、新しい命が産声を上げた。だが赤子のモデル、小嶋和子さんは長らく葛藤に苦しんだと手記につづっている▲〈納得ができないまま使命や定めを背負うことほど、辛(つら)いことはない〉。覚えのない逸話から「平和の使者」のごとく扱われる戸惑いや無力感。意を決して栗原さんに会うと、こう励まされた。「あなたは元気で生きていることが、一番なのだから」▲それぞれの胸に葛藤や怒りを抱えてきたのだろう。国連で始まった核兵器禁止条約の締約国会議で、広島の胎内被爆者・浜住治郎さんが演台に立った。「生まれる前から被爆者という烙印(らくいん)が押されている」と憤り、核兵器を「悪魔の兵器」と断じた▲最年少の被爆者がじきに80歳となる。彼らや原爆詩人の願いは世界中が「核の放棄」をうたうことだ。核禁条約に背を向ける保有国や被爆国の首脳には響くまいが。

(2025年3月5日朝刊掲載)

年別アーカイブ